アンドロスへの処置
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/09 07:02 UTC 版)
メアリー砦が19日に陥落した後、アンドロスはアッシャーの家を出されて、ジョセフ・ダドリーや他の統括植民地の官僚と共に監禁下に置かれ、6月7日になって、キャッスル島へと身柄を移された。この時アンドロスが、女装して島から脱出しようとしていたという噂が広まった。この噂はボストンの聖公会の聖職者ロバート・ラトクリフ(英語版)から、この話も、またその他のも「真実であるという証拠がかけらもない」と非難され、これらの「嘘偽り」が、「総督が人々にとって汚らわしいらしい存在である」と喧伝していると主張した。アンドロスは、使用人が番人を酒で買収したため、8月2日にキャッスル島から無事脱出した。そしてやっとのことでロードアイランドまでたどり着いたが、その後すぐに再逮捕された。これは事実上の独房での監禁だった。彼や、暴動の初期の段階で逮捕された者たちは、裁判でイングランドに戻るまでに、植民地に10か月間とどめ置かれた。しかしロンドンのマサチューセッツ代表は、アンドロスへの罪状を並べた書類に署名するのを拒否したため、アンドロスは即座に無罪となり、釈放された。その後彼はヴァージニア及びメリーランドの総督となった。
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