アントニア・モレイラとは? わかりやすく解説

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アントニア・モレイラ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/05/20 20:34 UTC 版)

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この名前は、ポルトガル語圏の人名慣習に従っています。第一姓(母方の)はモレイラ第二姓(父方の)はデ・ファティマです。(Template:ポルトガル語圏の姓名)
獲得メダル
アンゴラ
柔道
アフリカ競技大会
2011 マプト 70kg級
2007 アルジェ 70kg級

アントニア・モレイラ・デ・ファティマ(Antónia Moreira De Fatima、1982年4月26日 - )はアンゴラ出身の柔道選手。階級は70kg級。身長170cm[1][2][3]

人物

2004年にアテネオリンピック70kg級に出場すると、初戦でキューバのアナイシス・エルナンデス大内刈で破る健闘を見せるものの、2回戦で北朝鮮のキム・リョンミに払巻込で敗れた[1]。2005年に南アフリカのポート・エリザベスで開催されたアフリカ選手権では優勝を飾った[2]。2007年のアフリカ競技大会では3位に終わった[2]

2008年の北京オリンピックには出場できなかった[1]。2009年にはポルトガル語圏競技大会で優勝を果たした。2010年の世界選手権では初戦で日本の國原頼子縦四方固で敗れた[3]。2011年のアフリカ競技大会は決勝でチュニジアのホウダ・ミレドに敗れて2位だった。また、グランドスラム・モスクワでは2回戦で韓国の黄藝瑟と対戦すると、有効4つを取って大きくリードしながらも逃げずに立ち向かったが、終了と同時に逆転の一本負けを喫したこともあった[3]世界選手権では初戦でフランスのリュシ・ドコス横四方固で敗れた[2]

2012年にはワールドカップ・ブカレストで3位となり、アンゴラの選手としてワールドカップレベルの大会で初めてとなるメダルを獲得した[2]。さらに、ロンドンオリンピックには大陸枠で出場を果たすと、アンゴラ選手団の旗手にも選ばれた[4]。試合では2回戦でコロンビアのジュリ・アルベアル腕挫三角固で敗れた[1]。2013年の世界選手権では7位に入った[2]。2014年のアフリカ選手権では9年ぶり2度目の優勝を飾った[2]。2015年のグランプリ・ウランバートルでは3位となり、IJFワールド柔道ツアーで初めてのメダルを獲得した[2]。2016年のリオデジャネイロオリンピックでは2回戦で敗れた[3]

主な戦績

(出典[3]、JudoInside.com)。

脚注

  1. ^ a b c d Antónia Moreira Biography and Olympic Results
  2. ^ a b c d e f g h listes des judokas
  3. ^ a b c d e profile
  4. ^ Antonia Moreira de Fatima, Flag Bearer”. 2012年7月23日時点のオリジナル[リンク切れ]よりアーカイブ。2012年11月20日閲覧。

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