アレクサンドラ・パヴロヴナとは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 固有名詞の種類 > 人名 > 実業家 > 貴族 > ホルシュタイン=ゴットルプ=ロマノフ家 > アレクサンドラ・パヴロヴナの意味・解説 

アレクサンドラ・パヴロヴナ

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/02/26 06:16 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
アレクサンドラ・パヴロヴナ
Александра Павловна
1790年代後半、ウラジーミル・ボロヴィコフスキー英語版

出生 1783年8月9日
ロシア帝国サンクトペテルブルク
死去 (1801-03-16) 1801年3月16日(17歳没)
ハンガリー王国ブダ
配偶者 オーストリア大公ヨーゼフ・アントン
子女 アレクサンドリーネ
父親 パーヴェル1世
母親 マリア・フョードロヴナ
テンプレートを表示

アレクサンドラ・パヴロヴナロシア語: Александра Павловна, ラテン文字転写: Alexandra Pavlovna, 1783年8月9日 - 1801年3月16日)は、ロシア大公女オーストリア大公ヨーゼフ・アントンレオポルト2世の八男)の最初の妃。

ロシア皇帝パーヴェル1世と皇后マリア・フョードロヴナの長女(第3子)として、サンクトペテルブルクで生まれた。兄にアレクサンドル1世コンスタンチン大公、弟にニコライ1世がいる。

1799年10月30日、ヨーゼフ・アントンとブダ(現在のブダペスト)で結婚。1801年に長女アレクサンドリーネ(夭折)を出産後、逝去した。






固有名詞の分類

このページでは「ウィキペディア」からアレクサンドラ・パヴロヴナを検索した結果を表示しています。
Weblioに収録されているすべての辞書からアレクサンドラ・パヴロヴナを検索する場合は、下記のリンクをクリックしてください。
 全ての辞書からアレクサンドラ・パヴロヴナ を検索

英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「アレクサンドラ・パヴロヴナ」の関連用語

アレクサンドラ・パヴロヴナのお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



アレクサンドラ・パヴロヴナのページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアのアレクサンドラ・パヴロヴナ (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS