アルグン・ハンの登位
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/03/27 18:39 UTC 版)
「ラッバーン・バール・サウマ」の記事における「アルグン・ハンの登位」の解説
1281年にマール・デンハが没すると、後任の総主教にヤバラーハーが選ばれた。1282年にアバカが没し、イスラム教徒であるアバカの弟アフマド・テグデルがイルハン朝のハンに即位すると、イルハン朝でネストリウス派の弾圧が行われる。サウマとヤバラーハーは政敵から讒言を受け、40日超の間、宮廷内に監禁される。アバカの子アルグンがテグデルを討ってハンに即位すると、イルハン朝内のネストリウス派信者はアルグンの即位を喜び、サウマとヤバラーハーらネストリウス派の高僧はアルグンの元を訪れ即位を祝福した。 新たにハンに即位したアルグンはエジプト、シリアを支配するマムルーク朝との戦争に際して、西欧のキリスト教国との連携を考えていた。使者の推薦を求められたヤバラーハーは知見と言語力に優れた人物としてサウマを推薦し、アルグンもサウマの推薦に賛同した。
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