アメリカのカントリー・ブルース
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/26 15:49 UTC 版)
「目の見えない音楽家」の記事における「アメリカのカントリー・ブルース」の解説
目の見えない音楽家は、アメリカのポピュラー音楽に大きく貢献をした。ゴスペルをレコーディングした最初期のピアニストであるアリゾナ・ドレインズや、アル・ヒブラー、レイ・チャールズは目が見えなかったが、ソウルミュージックの創出に重要な役割を果たした。史上最高のジャズピアニストとして挙げられるアート・テイタムも同じく、ほとんど目が見えなかった。スティーヴィー・ワンダーも生まれつき目が見えなかったが、30曲以上でアメリカのトップ10に入るヒットを記録し、2019年時点で25のグラミー賞を受賞している。 一方、目の見えない黒人の音楽家たちは、今でもカントリー・ブルースと最も強く関係している。最初に成功した男性カントリー・ブルース演奏家であるブラインド・レモン・ジェファーソンをはじめ、ブラインド・ウィリー・マクテル、ブラインド・ウィリー・ジョンソン、ソニー・テリー、ブラインド・ボーイ・フラー、ブラインド・ブレイク、レヴァランド・ゲイリー・デイビスなど、多くのカントリー・ブルースマンはほとんど目が見えなかった。目の見えないカントリー・ブルースマンの姿は象徴的だったため、目の見えるジャズギタリストのエディ・ラングが、ロニー・ジョンソンとブルースのレコードを録音するため黒人の仮名を決めようとしたときに、ラングは当然のごとくブラインド・ウィリー・ダンに決めた。
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