アマ・レッスンプロ時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/04/28 13:39 UTC 版)
「山下カズ子」の記事における「アマ・レッスンプロ時代」の解説
1965年に高校卒業後、就職のために上京し職を転々とする。当初は社内の男性と将棋を指す程度であったが、ある時、日本橋で行われていた将棋まつりの広告で女流アマ名人戦の参加募集の広告を見て同じ年齢で女流プロして活動していた蛸島彰子の存在を知る。 その後将棋会館の初心者講習会へ通い、有段者となる。その後土曜教室を開催していた後に師匠になる松下力九段から「会社の給料と同じぐらい出すからプロにならないか?」と誘われて、考えた末に1972年に女性としては二人目のレッスンプロとして登録された。肩書は『女流プロ1級』として活動していた。 レッスンプロとしての主な仕事として、土曜教室の手伝い、師匠の代稽古、連盟の棋譜チェック、『将棋年鑑』の校正などで、その間にNHK杯の記録係にも登用され、長年にわたり蛸島が棋譜読み上げ、山下が記録係を務めた。これは1990年に退くまで18年も続いた。
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