アフミチの虐殺
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:24 UTC 版)
「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」の記事における「アフミチの虐殺」の解説
詳細は「アフミチの虐殺」を参照 アフミチの虐殺(英語版)は、ラシュヴァ渓谷での一連の民族浄化の中心的な事件であり、ラシュヴァ渓谷でのクロアチア人とボスニア・ヘルツェゴビナ政府軍との衝突が続いたこの期間における最大規模の虐殺であった。 1993年4月16日5時30分、クロアチア防衛評議会はアフミチ(英語版)のボシュニャク人地区を砲撃し、女性や子ども、老人を含む多数のボシュニャク人の殺害へと続いた。クロアチア人勢力はボシュニャク人の家屋を次々に破壊し、村にあった2つのモスクも破壊した。死者数は120人にのぼるとみられ、うち最年少の者は生後3か月の嬰児でベビーベッドの中でマシンガンで殺害されており、また最年長の者は81歳の女性であった。
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