アフミチ攻撃に関与した戦力
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 05:24 UTC 版)
「ラシュヴァ渓谷の民族浄化」の記事における「アフミチ攻撃に関与した戦力」の解説
アフミチ攻撃に関与した戦力には憲兵隊第4大隊と、ジョケリ部隊(Džokeri、ジョーカー部隊)であった。ジョケリ部隊は対テロリスト部隊という名目で20名程度の隊員から成る部隊であり、ナディオツィのバンガローに駐在していた。1993年1月に部隊の創設を命じたズヴォンコ・ヴォコヴィッチ(Zvonko Voković)の目的は、破壊活動などの特殊任務の実行であった。このほかに作戦に関与していたのはヴィテズ市域内にいたヴィテゾヴィ旅団(Vitezovi)、ヴィテシュカ旅団(Viteška)、ブソヴァチャにいたニコラ・シュビッチ・ズリンスキ旅団(Nikola Šubić Zrinski)、アフミチおよびシャンティチ、ピリチ、ナディオツィにいたドモブラニ部隊(Domobrani、1993年2月8日のモスタルでの決定にもとづいて組成された各町村の自警団)などがある。ブラシュキッチ裁判では多くの証人が、クロアチア陸軍の紋章をつけて迷彩服を着た兵士たちがいたことを証言している。また、これらの村々に住むクロアチア人の住民の中にも攻撃に参加した者が多数いる。これらのクロアチア人の村人の多くは、ドニ・アフミチのスラヴコ・ミリチェヴィッチ(Slavko Miličević)、ズメ(Zume)のジャルコ・パピッチ(Žarko Papić)、ナディオツィのブランコ・ペルコヴィッチ(Branko Perković)、グラボヴィ(Grabovi)のゾラン・クプレシュキッチ(Zoran Kupreškić)、シャンティチのネナド・シャンティッチ(Nenad Šantić)やチョリッチ(Ćolić)など、村の自警団に属していた。
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