アトゥアトゥキ族征討
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/03/25 06:45 UTC 版)
「サビス川の戦い」の記事における「アトゥアトゥキ族征討」の解説
サビス川へ向かっていたアトゥアトゥキ族はネルウィ族らが敗北したのを知って、自らの領土の中で最も堅牢な城市へ財産や食糧を持ち込んで、ローマ軍に対して籠城を試みたものの、ローマ軍の攻城兵器を見て抵抗する意欲を失って、ローマへの降伏を申し出た。カエサルはアトゥアトゥキ族から全ての武器を差し出すように命じたが、アトゥアトゥキ族は一部の武器を隠し持ち、ローマ軍の隙をみて、蜂起したものの、ローマ軍によって鎮圧され、4,000名が殺害された。残りの53,000名は全て奴隷として商人へ売られた。 これによってベルガエ人の大反乱はローマ軍の勝利となり、カエサル自身も「全ガリアは平和となった」とガリア戦記で記したようにガリアはローマの支配下に入ったかに思われたが、ガリア戦争は終結まで6年間続くこととなった。
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