アゾフ海攻略作戦
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/05/12 06:39 UTC 版)
「ロストフの戦い (1941年)」の記事における「アゾフ海攻略作戦」の解説
ロストフの攻略は第11軍(司令官オイゲン・フォン・ショーベルト)が担当することになったが、ショーベルトが地雷原に墜落、その日の内に戦死した。ショーベルトの後任としてエーリッヒ・フォン・マンシュタインがレニングラード戦区から第11軍に赴任、ドイツ空軍第4航空艦隊の支援を取り付けた。 この時、第11軍所属の第LIV軍団はクリミア半島で、ルーマニア軍がオデッサの包囲にそれぞれ従事していたため、ロストフ攻略のための戦力は退却しているソビエト赤軍への追撃でさえ厳しく制限された。そのため、マンシュタインは第LIV軍団を、より規模の小さい第XXX軍団、第XLIX山岳軍団と交代させ、第LIV軍団にロストフへの先遣を勤めるよう命令した。 9月下旬、ルーマニア第3軍はロストフへ前進する第11軍に加わったが、26日にソ連第9軍、第18軍の反撃を受け大きな損害を受けた。これにより第11軍は側翼防護のため停止、マンシュタインはルーマニア第3軍の支援に唯一の予備戦力であるSS師団LSSAH(当時、旅団規模)を使わざるを得なくなった。
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