アカイア公国
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- アカイア公国
- Principauté d'Achaïe
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← 1205年 - 1432年 →
(国章) -
アカイア公国の版図(紫) -
公用語 フランス語、ギリシャ語 首都 アンドラヴィダ(1205年 - 1249年)
ミストラス(1249年 - 1261年)- 公
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1205年 - 1208年 ギヨーム1世・ド・シャンリット 1208年 - 1228年 ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアン 1404年 - 1432年 チェントゥリオーネ2世アサン・ザッカリア - 変遷
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建国 1205年 消滅 1432年

アカイア公国(アカイアこうこく、 仏: Principauté d'Achaïe: Πριγκιπάτο της Αχαΐας)は、第4回十字軍参加のフランス騎士ギヨーム・ド・シャンリットによって南ギリシア・ペロポニソス半島に建国された封建国家(1205年 - 1432年)。形式上ラテン帝国、テッサロニキ王国の臣下であり、また自らの臣下として12の男爵を従えていた。正式な君主号はラテン語で「全アカイア公」(princeps totius Achaiae)。
初期は建国者の一人であるジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアンの一族が統治したが、その男系が断絶すると、フランス・アンジュー家の統治下に入り、以後、複雑なフランス流血族政治の網の目が張り巡らされていく一方、1262年に半島南部を獲得した東ローマ帝国との争いに揺らぎ、様々な冒険家・戦闘集団がこの地域に入り込んでいく。14世紀後半にはナバラ軍団(ナバラ王国出身の傭兵団)やイタリア系のトッコ家などいくつかの勢力に分割された。
1382年にジョヴァンナが暗殺されると、ジャック・デ・ボーがアカイア侯を名乗ったが、翌年に死去した。その後は遺言によって従兄弟のルイ1世・ダンジューに継承されたが、彼もまもなく亡くなった。ルイ2世・ダンジューとその母親マリー・ド・ブロワはアカイア侯位のロドス騎士団への売却を決定し、アヴィニョン教皇クレメンス7世の承認の下で両者は1387年に合意に達したが、ナバラ傭兵団長のペドロ・ボルド・デ・サンスペラーノやヴェネツィア共和国、ネリオ1世・アッチャイオーリらの反発を受けた。彼らはルイ2世・ド・クレルモンを新アカイア侯に擁立し、それをローマ教皇ウルバヌス6世が承認した。対してクレメンス7世は、ロドス騎士団への売却を無効化して、かねてよりアカイア侯を称していたアメデー・ド・サヴォア=アカイエなる人物を新アカイア侯に据えた。
1389年、アカイア侯国は、モレアス専制公テオドロス1世・パレオロゴスの侵攻を受け、アルゴス、ナフプリオ(いずれもヴェネツィア領)を失った。ネリオ1世は娘を娶らせていた経緯からテオドロス側に味方し、ナバラ傭兵団長ペドロやヴェネツィアと対立した。まもなくナバラ傭兵団は、ナフプリオの奪還とネリオ1世の捕縛を成し遂げた。侯アメデーは内紛を解消するため、1391年に介入した。その結果、ヴェネツィアにはアルゴスの奪還が約束され、ナバラ傭兵団は買収によって服従し、ネリオには傭兵団に奪われていたボスティツァが返還された。アメデーの介入は功を奏し、ルイ2世はアカイア侯を称する支持基盤を失ったのであった。
オスマン朝のスルタン、バヤズィト1世の侵攻を危惧したネリオ1世は、1393年に同スルタンに対する貢納を開始し、翌年に没した。他方で、テオドロス1世は、オスマンへの貢納を取りやめ、ネリオ支配下のコリントを占領した。しかし、オスマン艦隊がコリント湾からモレアに侵攻してくると、テオドロスはヴェネツィアにアルゴスを返した。それでも、1395年にマタグリフォンがオスマン朝に占領された。ペドロとその義兄弟であるカランドリツァ兼アルカディア領主アンドロニコス・アセン・ザッカリアは、テオドロスに一時捕縛されたが、ヴェネツィアが保釈金を支払ってくれたおかげで解放された。1396年、ナポリ王にしてアカイア侯国の名目上の宗主ラディスラス1世は、ペドロにアカイア侯位を売却した。これにより、アカイア侯は、アメデー(侯国に不在)とペドロの並立状態になった。アカイア侯ペドロは、オスマン朝のアルゴス占領を受けて、ヴェネツィアとの間に相互協力を約束した。
最後にジェノヴァ人貴族ザッカリア家が獲得したが、1430年にはモレアス専制公領共同統治者ソマス・パレオロゴスの手に渡り、1432年に消滅した。
公国の形態
領土構成と封建制
アカイア公国はかなり狭く、ペロポネソス半島にて構成されていたものの、かなり裕福な地域でもあった。ワインやレーズン、蝋や蜂蜜、油に絹等を輸出することで成り立っていた。公国の首都はもともとアンドラヴィダであり、公国自身は、北側にエピロス専制侯国、アテネ公国と接しており、またモドン港やコロニ港といった、ヴェネツィア共和国のエーゲ海内の飛び地に囲まれていた。
1208年9年、ギヨーム1世・ド・シャンリットが出立したあとギヨームは、2人のラテン人司教、2人の旗手・5人の有力なギリシア人からなる公国支配体制(議長はギヨーム自身である)を確立させ、当時のラテン慣習をもってして土地を検知し領土を分割した。
歴代アカイア公
- ギヨーム1世・ド・シャンリット (1205年-1208年・母国帰還のため譲位)
- ジョフロワ1世・ド・ヴィルアルドゥアン (1208年-1228年)
- ジョフロワ2世・ド・ヴィルアルドゥアン (1228年-1246年)
- ギヨーム2世・ド・ヴィルアルドゥアン (1246年-1278年)
- シャルル1世・ダンジュー (シチリア・ナポリ王カルロ1世、三男フィリップは7の夫) (1278年-1285年)
- シャルル2世・ダンジュー (ナポリ王カルロ2世、5の次男) (1285年-1289年)
- イザベル・ド・ヴィルアルドゥアン (4の娘) (共治1289年-1307年)
- フロラン・ド・エノー (ラテン帝国帝位継承者の近親、7の2番目の夫) (1289年-1297年)
- フィリッポ1世・ディ・サヴォイア (ピエモンテ公、7の3番目の夫) (1301年-1306年)
- フィリッポ1世・ディ・ターラント (6の次子) (1307年-1313年)
- マオー・ド・エノー (8の娘) (共治1313年-1318年)
- ルイ・ド・ブルゴーニュ (11の2番目の夫、ロベール2世子) (1313年-1316年)
- ロベルト1世 (ナポリ王、10の兄) (1318年-1322年)
- ジョヴァンニ・ディ・グラヴィーナ (13の末弟) (1322年-1333年)
- カトリーヌ・ド・ヴァロワ (10の2番目の妻) (1333年-1346年)
- ロベルト・ディ・ターラント (10の息子) (1346年-1364年)
- フィリッポ2世・ディ・ターラント (10の息子、16の弟) (1364年-1373年)
- ジョヴァンナ (ナポリ女王、13の孫娘) (1373年-1381年)
- ジャック・デ・ボー (17の甥) (1381年-1383年)
- ペドロ・ボルド・デ・サン・スペラン (ナバラ軍団長) (代理総督1383年-1396年, アカイア公1396年-1402年)
- マリア・ザッカリア (20の妻、摂政、1402年-1404年)
- チェントゥリオーネ2世アサン・ザッカリア (21の甥) (1404年-1432年)
系図
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ジャン・ド・ヴィルアルドゥアン |
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ジョフロワ・ド・ヴィルアルドゥアン 歴史家 |
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ジョフロワ1世2 |
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シャルル1世・ダンジュー5 シチリア王 ナポリ王 |
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アニェス (ラテン皇帝ピエール・ド・クルトネー娘) |
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ジョフロワ2世3 |
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ギヨーム2世4 |
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アンナ (エピロス専制公ミカエル2世娘) |
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シャルル2世6 ナポリ王 |
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フィリップ |
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イザベル7 |
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フロラン・ド・エノー8 (エノー伯ジャン1世子) |
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イスナール・ド・サブラン |
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マルグリット |
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リカルド・オルシーニ ケファロニア宮廷伯 |
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ロベルト1世13 ナポリ王 |
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ジョヴァンニ14 ドゥラッツォ公 |
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マオー11 |
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ルイ・ド・ブルゴーニュ12 (ブルゴーニュ公ロベール2世子) |
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イザベル |
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フェラン (マヨルカ王ジャウメ2世王子) |
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カルロ カラブリア公 |
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マリー |
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カトリーヌ15 (ヴァロワ伯シャルル娘) |
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フィリッポ1世10 ターラント公 |
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ジャウメ3世 マヨルカ王 |
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ジョヴァンナ1世18 ナポリ女王 |
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ルイージ ターラント公 |
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マルゲリータ |
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フランチェスコ1世・デル・バルツォ アンドリア公 |
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ロベルト16 ターラント公 |
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フィリッポ2世17 ターラント公 |
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ジャウメ4世 |
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ジャック・デ・ボー19 ターラント公 |
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アントーニア・デル・バルツォ |
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フェデリーコ3世 シチリア王 |
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