たけし欠席時企画
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/08 02:18 UTC 版)
「ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事における「たけし欠席時企画」の解説
たけしが1986年12月にフライデー襲撃事件を起こした際には、上柳昌彦アナと高田文夫が事件と正面から向き合う企画を生放送、リスナーからの声を受け止めた。これ以降、翌年の3月19日まではオーディション番組「お笑い新人類大集合!!」(1987年1月いっぱい)やビートきよし、やしきたかじん・円広志、片岡鶴太郎、明石家さんまなどのスペシャルパーソナリティで繋ぎ、3月26日からは代理パーソナリティを大竹まことが務めた。ただし当初は、ピートこけしと名乗っていた。この期間の番組表タイトルにパーソナリティ名はなかった。 中断期間中に「オールナイトニッポンオーディション」という、パーソナリティー争奪ゴングショーが開催された。主に地方のパーソナリティーを選抜するもので、この中に田中義剛や清水圭・和泉修がいた。後に彼らは正式にパーソナリティーに起用されている。 中断期間以外にも、本人が番組をドタキャンしてしまう場合があった。1989年7月には1ヶ月丸々休む事も。多くは総集編の放送や軍団が穴埋めをしたが、爆笑問題、山田邦子、池田貴族、上柳アナなど代打を立てる事もあった。伊集院光は金曜2部のパーソナリティ時代に、過労で倒れたたけしの代打として、当時自らがプロデュースし話題となった芳賀ゆいと共に『伊集院光と芳賀ゆいのオールナイトニッポン』を放送。(1990年9月6日)
※この「たけし欠席時企画」の解説は、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の解説の一部です。
「たけし欠席時企画」を含む「ビートたけしのオールナイトニッポン」の記事については、「ビートたけしのオールナイトニッポン」の概要を参照ください。
- たけし欠席時企画のページへのリンク