その他の駱駝騎兵
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/08 01:48 UTC 版)
チンギス・ハーン、及びその後継者達の率いたモンゴル帝国の軍隊では、太鼓奏者は駱駝(この場合はユーラシア大陸であったためフタコブラクダ)に太鼓を乗せて騎乗で攻撃の指揮を伝えている。太鼓奏者が太鼓を打ち鳴らし合図を送ると弓騎兵達が一斉に火のついた矢を敵に放ち追撃した。 また、656年イスラム帝国4代目カリフのアリーとバスラで会戦したムハンマドの未亡人アーイシャはその際に戦場をよく見渡せるラクダに騎乗して軍隊を指揮したとされる。そのためこの戦いは「ラクダの戦い」とも呼ばれる。 近代以前のアラブ人は戦争の際はラクダ騎兵でなくとも裕福な者は1人に2頭、そうでない者でも3人に対して2頭のラクダを連れて戦場に赴いた。ラクダ以外にもロバや車も用いられはしたが地形の制約からラクダの使用が圧倒的だった。ラクダには単に戦闘に必要な装備を運ぶだけでなく、医者や負傷者を運ぶ役割もあり、多くの場合アラブ人は敵よりも速い行軍が可能であった。 駱駝騎兵は、自動車が発達した現代でも、砂漠地帯のパトロールなどに利用されている。
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