その他の砂留
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/07/09 14:33 UTC 版)
周辺や上流に小型の砂留が存在する事が知られる。1812年の「山手村絵図」には当時合計14基の砂留が存在すると記載されているが、それらしい砂留がいくつか残っている。江戸時代以後に追加設置されたと思われる砂留も混在している。2番砂留の砂溜まり後方北西側に俄山弘法大師堂があり、俄山弘法大師堂から北側400mの位置にある女郎塚および不動院奥院に至る山道を歩くと、そのうちの4基ほどを見ることが出来るが、1番および2番以外の砂留は観光目的の周辺整備や補修は行われていない。 第2番砂留の上流側西側にある小型の砂留。何番かは不明 女郎塚に向かう途中で見られる小型の砂留その1 同右;その2 同右;その3 2番砂留;人物とのサイズ比較 ウィキメディア・コモンズには、俄谷砂留に関連するカテゴリがあります。
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