ぜんまい採り
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/09/20 14:22 UTC 版)
前述したように、農業だけで生活するのは厳しかったため、山菜のぜんまいを採りそれを生活の足しにしていた。1985年(昭和60年)ごろまでは山熊田の25戸で年間100 - 150貫(400 - 600キログラム)、一戸あたり平均4 - 6貫(16 - 24キログラム)採られていて50万円以上の収入源となっていた。江戸時代から大正時代にかけて、お金が必要になった際は「親方」と呼ばれる資産家からお金や食料品などの生活物資を借り、塩木やぜんまいを返済に充てていた。山熊田の人々は荒川村の富樫太郎左衛門家から借り塩木やぜんまいで返していた。ぜんまいは「たて」と呼ばれる大きな俵に12貫(45キログラム)つめて、それを1本と呼んでいた。
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