『高麗史』による戦況とは? わかりやすく解説

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『高麗史』による戦況

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/09 16:00 UTC 版)

元寇」の記事における「『高麗史』による戦況」の解説

高麗史金方慶伝によると、元軍は三郎浦に船を捨てて、道を分かれて多く日本人殺害しながら進軍した高麗軍翼軍のうち都督使・金方慶直属中軍日本兵に衝かれるに至り、剣を左右に交えた白兵戦となったが、金方慶は少しも退かず、一本の矢を引き抜き厲声大喝すると、日本兵辟易して逃げ出した高麗軍中軍諸将之亮・金忻・趙卞・李唐公・金天禄・辛奕等が力戦日本兵大いに敗った。戦場には死体が麻の如く散っていた。元軍の総司令官である都元帥・クドゥン(忽敦)は「蒙古人戦い慣れているといえども高麗軍中軍働き比べて何をもって加えることができるだろう」と高麗軍中軍奮戦感心したその後高麗軍は元軍諸軍と共に協力して日本軍終日激戦展開した。ところが、元軍は激戦により損害激しく軍が疲弊し、左副都元帥劉復亨流れ矢を受け負傷して船へと退避するなど苦戦強いられた。やがて、日が暮れたのを機に戦闘解した

※この「『高麗史』による戦況」の解説は、「元寇」の解説の一部です。
「『高麗史』による戦況」を含む「元寇」の記事については、「元寇」の概要を参照ください。

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