『玉勝間』への貢献
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/19 03:35 UTC 版)
宣長著『玉勝間』の数条は小篠敏の報告に基づく。 巻二「五十連音をおらんだびとに唱へさせたる事」宣長著『字音仮字用格』「オヲ所属弁」を受け、天明8年(1788年)山根信満と長崎に行き、オランダ人に五十音を読ませたところ、ヰをウイ、ヱをウエ、ヲをウオのように発音し、オランダ語の発音上ア行とワ行が区別されることを確認した。 巻七「石見の海なる高島」祇園宮に伝わる楠を祭る俚謡について報告した。 巻九「石見国なるしづの岩屋」邑智郡岩屋村(邑南町岩屋)の洞穴を『万葉集』の「志都乃石室」に比定した。 巻九「対馬の式社」対馬の知人を通じて報告した。 巻十「出雲国なる黄泉の穴」門人斎藤秀満に簸川郡奥岡村(出雲市奥宇賀町)鰐淵山山腹の洞窟を調査させ、『出雲国風土記』の「黄泉之穴」に比定した。
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