『千字文』にかかわる伝承
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2010/10/13 17:56 UTC 版)
9世紀後半、唐代の李綽が著した『尚書故実』には、梁の武帝が王羲之の書より一字として二度用いることのない1,000字を選んで殷鉄石という能書家に模本をつくらせたものの、できあがったのは単に一字ずつ記された紙片1,000枚にすぎなかったので、周興嗣を呼んで韻文をつくらせたという記述がある。それによれば、周興嗣は皇帝の命を受けてわずか一晩で整然たる詩文を編み出し、武帝に進上することができたものの、その労苦によって彼の頭髪は一夜で真っ白になってしまったという。 同時期の大中10年(856年)序文銘のある韋絢『劉賓客嘉話録』にも同様の説話がみえ、それゆえ千字文はまたの名を「白首文」と呼ばれたなどと伝わっている。
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