『北条五代記』の風魔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/13 15:27 UTC 版)
詳細は「風魔」を参照 寛永18年(1641年)刊の三浦浄心『北条五代記』 によると、天正9年(1581)に北条氏直が黄瀬川で武田勝頼・信勝の軍勢と対陣したとき、氏直が扶持した乱波の1人・風广(風魔・風摩)は「四頭(四盗)」と200人の徒党を率い、武田の陣に夜討ちをして相手を苦しめた。 .mw-parser-output .templatequote{overflow:hidden;margin:1em 0;padding:0 40px}.mw-parser-output .templatequote .templatequotecite{line-height:1.5em;text-align:left;padding-left:1.6em;margin-top:0}氏直乱波。200人扶持し給ふ中に。1の悪者有。かれが名を。風广と云。たとへば西天竺。96人の中。1のくせ者を外道といへるがごとし。 —『北条五代記』寛永版 巻9「関東の乱波智略の事」より 同書によると、風广は、謀計・調略に非凡な才能を発揮し、武田軍の兵士はその風貌について、身の丈が7尺2寸(約218cm)あり、目や口が裂けて、牙が4本出ているなど、人間離れしていると噂した、という。作中では、風广の出自などは明らかにされていない。
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