『仮名手本忠臣蔵』
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/10 04:50 UTC 版)
そして赤穂浪士の討ち入りから47年目にあたる寛延元年(1748年)の8月14日に、大坂道頓堀の竹本座で、二代目竹田出雲・三好松洛・並木千柳合作の人形浄瑠璃『仮名手本忠臣蔵』が上演され、連続4か月も上演するほどの大当たりとなった。同年12月には大坂の嵐座で歌舞伎でも上演されている。歌舞伎では興行上の気付薬「独参湯」と呼ばれる程の人気を博し、不入りが続くとこの演目を出すといわれた。 伊原青々園の『歌舞伎年表』によれば、慶応3年までに江戸だけで89回も上演され、それに大坂、京都、その他での上演を加えると179回にもなる。人形浄瑠璃のほうでも、黒木勘蔵の『近世邦楽年表・義太夫節之部』には70回も上演されたときされている。
※この「『仮名手本忠臣蔵』」の解説は、「忠臣蔵」の解説の一部です。
「『仮名手本忠臣蔵』」を含む「忠臣蔵」の記事については、「忠臣蔵」の概要を参照ください。
- 『假名手本忠臣藏』のページへのリンク