「遊びはもうこりごり」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/08/12 04:26 UTC 版)
1976年の全日本プロ選手権自転車競技大会(熊本競輪場)で阿部はスクラッチで優勝し、世界選手権のプロ代表に選ばれたはずだった。ところが阿部は、「世界選のような遊びはもうこりごり。」といって代表を辞退してしまった。そればかりか阿部はこの後においても世界選手権に出場することはなかった。 この理由として当時、阿部が国内ではまだノンタイトルだったことが挙げられ、競輪でタイトルを取っていない以上、まずはそれを勝つことが第一と考えられたからだという見方があるが、実はもう一つの理由が考えられた。 というのは、阿部が前年の世界選で銅メダルを獲得したとき、欧州の自転車関係者から、「1年間、欧州グランプリシリーズ に出てみないか。」と打診され、阿部自身も乗り気だったのに、競輪界関係者から反対されたことで、阿部自身が自転車競技に対する意欲が失われたことに起因するといわれている。 ところで阿部の代役として同年の世界選に出場したのが中野浩一。阿部の辞退がなければ、ひょっとすると中野の10連覇はなかったかもしれない。
※この「「遊びはもうこりごり」」の解説は、「阿部良二」の解説の一部です。
「「遊びはもうこりごり」」を含む「阿部良二」の記事については、「阿部良二」の概要を参照ください。
- 「遊びはもうこりごり」のページへのリンク