「物体主義」について
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/09/12 04:54 UTC 版)
客人はまず、「物体主義者」たちを想定して問答を始める。 客人は、世の中に「死すべき生きもの(動物)」がいること、そしてそれは「「魂」を持った物体(身体)」であることに、同意するか問う。テアイテトスも同意する。客人は、では「魂」というものが「ある(有)」と考えるかと確認すると、テアイテトスも同意する。 続いて客人は、その「魂」の中身には、「正/不正」「思慮/無思慮」の区別が「ある(有)」こと、他にも様々な「徳/悪徳」の区別が「ある(有)」ことを指摘する。テアイテトスも同意する。 そこで客人は、こうした「魂」や、様々な「徳/悪徳」という、目に見えず、手で触れることができない存在(有)を、「物体主義者」たちはどのように扱うのか問う。テアイテトスは、彼らは「魂」に関しては「物体的なものの1つ」と主張するだろうが、様々な「徳/悪徳」に関しては、「物体的なもの」とも主張できないし、その存在(有)を否定することもできないので、答えに窮すると指摘する。 客人は、彼らがそのように「有るもの(有)」の中に、僅かな一部分であれ「非物体的なもの」が含まれることを、頑強に否定することができなくなり、そして、そんな「物体的なもの」と「非物体的なもの」に共通して備わっている、「ある(有)」を生み出しているものに目を向け、それが何であるかを言わなければならなくなることは、その分彼らが(「無知の知」を経て、知的に前進/向上することであり)より「善良な人間」になることだと指摘する。 そして客人は、そんな 「物体的なもの」と「非物体的なもの」に共通して備わり、「ある(有)」を生み出しているもの。 についての、自身の暫定的な答えとして、それは、 「他に働きかける」「他から働きかけられる」といった「能動的/受動的な機能(力)」。(それがどんなに僅かでも、一度きりでも構わない。) のことであると、すなわち、 「存在(有)」とは、「機能」である。 と、主張する。
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