「止め山」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2009/01/28 06:30 UTC 版)
藩政時代、これより奥地はいわゆる「止め山」として入山禁止となっていた。 盛岡藩では江戸幕府の要請により、尾去沢鉱山を藩直営として銅鉱石を採掘しており、採掘した鉱石のうち精選したものを粒状に砕いて釜に入れ、木炭を燃やした熱で鉱石を溶かして荒銅を生産していた。これらは当時、日本国内には銅の精錬技術がなかったため荒銅のままオランダなどへ輸出されていた。 荒銅の生産には木炭を大量に必要としたので、藩では、現在の鹿角地域や岩手県八幡平市のうち、米代川の上流域にあたる奥地を「止め山」にして厳重に管理し、木炭やその他の薪および坑木などの供給源としていた。
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