「子午線の島」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/03 01:37 UTC 版)
詳細は「フェロ子午線」を参照 エル・イエロ島はヨーロッパの歴史上、(後のイギリス帝国を除いて)共通の本初子午線が設定された島として知られている。既に2世紀には、プトレマイオスが「当時知られていた世界」の西の端に基づいて本初子午線(経度0度)を設定することを検討し、地図に正の値のみ(本初子午線より東のみ)の経度を記述している。1634年、ルイ13世と宰相リシュリューが統治するフランスは、フェロ島(エル・イエロ島)を通るフェロ子午線を地図の基準子午線とすることを決定した。これは、フェロ島が旧世界の西の端と考えられていたためである。アゾレス諸島はフェロ島よりも西にあるが、アゾレス諸島をヨーロッパ人が発見したのは1427年のことであり、旧世界の一部という認識はなかった。パリを通るパリ子午線の20度とするため、フェロ島の正確な位置は考慮されなかった。 (イギリス・アメリカを除く)西洋の古い地図では、図幅の上にパリ経度が、図幅の下に(パリ経度を20度西にずらした)フェロ経度が書かれていた。
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