「善・悪」と「快・苦」は同一
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「プロタゴラス (対話篇)」の記事における「「善・悪」と「快・苦」は同一」の解説
また本篇では、「善・悪」と「快・苦」の同一性も説かれる。 これは広い意味での「快楽主義」とも言えるが、しかし本篇ではあくまでも、遠い先の「快」(としての「善」)も考慮に入れて計算できる「計量の技術」を併せた形で言及されており、むしろ「知性主義」(主知主義、intellectualism)寄りの発想、正確には、「知性主義」(主知主義)と「感情主義」(主情主義・快楽主義)を折衷・混合した発想と言える。そしてそのことは、『饗宴』や『パイドロス』といった中期の作品で、エロースが知的探求を助力するものとして主題的に扱われたり、快楽主義を主題とした後期対話篇『ピレボス』において、「快楽」と「思慮・知性・知識」の混合についての議論が展開されることで確認・傍証される。 それに対して、短絡的・通俗的な意味での単純な「快楽主義」はむしろ、「計量の技術」を伴わず「無知」にまみれて「見えるがままの目先の小さな「快」に負けるもの」として、否定的に言及されている。
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