「中規模邸宅」の変化
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/24 04:46 UTC 版)
「中世の寝殿造」の記事における「「中規模邸宅」の変化」の解説
「中規模邸宅」は 1/2町や1/4町(八戸主)程度の平安時代末の摂関家の寝殿造レベル、例えば松殿関白・藤原基房邸などが属する。 時代が下ると室町時代の伏見殿(画像a30)なども母屋・庇の寝殿造様式を若干は残しながら、だいぶ様子が違ってきている。柳原資明の柳原殿はその子・柳原忠光の代に臨時の院御所とされた。画像a62は応安4年(1371)の指図であるが、その寝殿には公卿座(単廊だが元二棟廊)と中門廊、車宿という伝統的な出入り口の諸施設が見られるものの、寝殿はもはや「母屋・庇の構造」ではない。柱間も畳みの敷き方から7尺程度と思われる。二行対座に梁行二間を使っている。 「中規模邸宅」は室町時代においても100%寝殿造だったという意味ではなく、院御所とか室町将軍以外の中規模邸宅にも寝殿造は一部に残っていたのかもしれないという程度である。しかし細々と残っていたとしても応仁の乱で確実に終わる。
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