「ヨハネ・パウロ1世」
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/05/13 07:51 UTC 版)
「ヨハネ・パウロ1世 (ローマ教皇)」の記事における「「ヨハネ・パウロ1世」」の解説
1978年8月6日にパウロ6世が死去し、死去を受けて行われたコンクラーヴェにおいて、「本命」と目されていたジュゼッペ・シーリ枢機卿やブラジル出身のアロイージ・ロシャイデル枢機卿を退け、1日目の3回の投票でアルビーノ・ルチャーニ枢機卿が新教皇に選ばれた。 教皇名は「ヨハネ・パウロ」となり、複合名を初めて採用した教皇となった(これはヨハネ23世とパウロ6世前教皇の改革路線を継承するという意志の表れとも言われる)。また通常、初めての名前には2世が表れるまで「1世」と付けないのが通例であったが、8月26日の就任当初から「ヨハネ・パウロ1世」を自ら名乗っている。これには「ヨハネとパウロという法王名を組み合わせた初めての例だから」「(バチカンの)刷新の思いを込めた」などの説がある。
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