《気分、印象と追憶》とアネシュカ・シュルゾヴァー
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「ズデニェク・フィビフ」の記事における「《気分、印象と追憶》とアネシュカ・シュルゾヴァー」の解説
晩年のほぼ10年間にわたり親密な関係にあったアネシュカ・シュルゾヴァーは、当時彼の作曲の教え子であった。18歳年下の彼女は、フィビフの創作活動に大きな影響を与えた。全376曲・4つの作品番号に分けて発表されたフィビフのピアノ曲集《気分・印象と追憶》[Nálady, Dojmy a Upomínky] には、アネシュカと過ごした日々が、ピアノ曲による恋愛日記として綴られている。また、文豪シュルツの娘であったアネシュカは、その文才を活かし、フィビフのオペラ《ヘディ》Op.43、《シャールカ》Op.51、また、《ヘルガ》Op.55の作曲のための脚本を書いている。 これ等程には重要でないかも知れないが、彼女はフィビフのピアノ五重奏曲Op.42のピアノ4手版編曲や、ピアノ曲集《画家の作品》の草稿の写譜なども遺している。 《気分、印象と追憶》は、彼の他の数多くの作品との関連性を指摘できることから、フィビフの創作の集大成と言えるだろう。なかでも「ジョフィーン島の夕べ」と題されたOp.41-139 (No.139) の旋律は、管弦楽の為の牧歌《黄昏》Op.39 の中間部に既に用いられていた他、後にヴァイオリニストのヤン・クベリークによって、ヴァイオリンとピアノのための《詩曲》に編曲されるなど、フィビフの作品の中でも最も知られるものとなった。アネシュカが暮らしていたジョフィーン島(スラヴ島)には現在、ジョフィーン館という建物が建っている。この正面左側の壁にはフィビフを記念するレリーフが掲げられているが、そこにはこの曲の旋律も刻まれている。 尚、フィビフの死から5年後、アネシュカは自らの手で、その生涯に幕を引いている。
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