米酒交換
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米酒交換(こめさけこうかん)は、近代日本(明治時代から昭和時代初期)において、農家と酒造家との間で行われた物々交換の慣習[1][2][3]。1898年(明治31年)の自家用酒税法[注 1]廃止後、酒(日本酒)の密造や自造自飲の慣習防止のために推奨されたが[1][2][3]、日中戦争で米の生産統制が行われ、酒の流通が配給制に移行していく過程で、1940年(昭和15年)に廃止された[5]。
註釈
- ^ 自家用酒税法は、酒類が濁酒・白酒・焼酎で年間2石以内であれば、免許を受けた者にのみ自家醸造を認めた制度。1896年(明治29年)に制定された。製造税として2円を課した。免許者が多く、税務署による検査費用など徴収に経費がかかるわりには期待したほどの税収は得られなかったため、3年で廃止された。[4]
- ^ 雑菌による腐敗防止のため、生酒を湯通しして殺菌した酒。
- ^ 1889年(明治32年)当時の酒税は、国税収入全体の35.5パーセントを占めた。なお、1907年(明治40年)は23.0パーセント。(『国税庁統計年報』より)[10]。
- ^ 自家用酒税の廃止は、過大な酒税検査事務を削減することで行政事務の合理化を図ったものといわれている[5]。
- ^ ただし、米酒交換が広まった一方で、1936年(昭和11年)においてなお、濁酒密造犯の検挙件数は、東北地方2,891件、九州地方134件、中国地方63件、中部地方54件、四国地方47件、関東地方44件、北海道22件、近畿地方3件が記録されている。密造件数最多の東北地方のなかでは、秋田県が1,671件と群を抜いて多く、次いで岩手県423件、宮城県345件、青森県173件、福島県151件、山形県128件であった[13]。
- ^ 現行の酒税法は、この後、1953年(昭和28年)2月に制定された法を基としている[11]。
- ^ 丹後酒梁は、酒販店「松栄屋」(京丹後市網野町)を事務局とし、峰山酒造組合、宮津酒造組合に属する酒蔵が共同で数々の企画に携わる。おもな取組に、琴引浜の水深27メートルの海に酒を沈めて醸造させる「龍宮浪漫譚」がある[14][15]。
出典
- ^ a b c d e f 仙台税務監督局『酒類密造矯正施設一般』仙台税務監督局、1940年、19頁。
- ^ a b c d e 仙台税務監督局『酒類密造矯正施設一般』仙台税務監督局、1939年、21頁。
- ^ a b c d e 仙台税務監督局『酒類密造矯正施設一般』仙台税務監督局、1938年、22頁。
- ^ 鈴木芳行『日本酒の近現代史』吉川弘文館、2015年、95頁。
- ^ a b c d e f g h i j k l m n “米と酒の交換”. 国税庁. 2019年8月14日閲覧。
- ^ a b c d e “現代版「米酒交換」ファンド 京都で設立「農家を元気に」”. 京都新聞社. (2018年9月27日) 2019年8月14日閲覧。
- ^ a b c 樋口 (2019年3月1日). “「三方よし」の日本酒“酒米ファンド”で商品化”. 北近畿経済新聞
- ^ a b c 三木義一『うまい酒と酒税法』有斐閣、1986年、201頁。
- ^ 鈴木芳行『日本酒の近現代史』吉川弘文館、2015年、102頁。
- ^ 三木義一『うまい酒と酒税法』有斐閣、1986年、205頁。
- ^ a b c 『酒税が国を支えた時代』税務大学校税務情報センター租税史料室、2012年、3頁。
- ^ 三木義一『うまい酒と酒税法』有斐閣、1986年、204頁。
- ^ 『酒税が国を支えた時代』税務大学校税務情報センター租税史料室、2012年、10頁。
- ^ 京都丹後 海底熟成海囲い酒 - 龍宮浪漫譚(りゅうぐうろまんたん)
- ^ 北近畿経済新聞「地酒を海底で熟成」2016年4月23日掲載
- ^ a b c d 京丹後市農業委員会 (2019年3月1日). 農業委員会だより№43: p. 1-3
- ^ a b “「米酒交換」で酒造り”. 全国農業新聞第3113号. (2019年9月6日)
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