鶴瓶上岡パペポTV
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主なスタッフ
- 構成
-
- 疋田哲夫
- 鹿児島俊光(番組初期)
- 藤本多賀雄(番組初期、後期)
- プロデューサー(1993年1月まで1人、1993年2月より2人体制)
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- 岡島英次(番組開始 - 90年7月)
- 池田智(1990年8月 - 1992年9月・1993年2月 - 1996年7月)
- 白岩久弥(1992年10月 - 番組終了まで)
- 西村良雄(1996年7月 - 1997年2月)
- 松下泰紀(1997年2月 - 番組終了まで)
- ディレクター(1991年1月まで及び1993年1 - 3月は1人、1991年2月 - 1992年12月及び1993年4月以降は2人体制)
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- 白岩久弥(番組開始 - 1992年12月、1993年4月 - 1996年4月。1991年2月よりチーフディレクター。1992年10月以降はプロデューサーを兼務)
- 武野一起(1991年2月 - 1993年3月。番組開始から1991年1月まではADとしてエンドロールに表記されていた)
- 高津英泰(1993年4月 - 番組終了まで。1996年5月よりチーフディレクター)
- 内海博久(1996年5月 - 1997年6月)
- 西川義嗣(1997年7月 - 番組終了まで)
テーマ曲とセット
テーマ曲は番組開始~提供までの立ちトークの間とエンドロール時に使用。立ちトークがいつ終わるかわからないため、エンドレスに加工して使用していた。選曲はすべて白岩プロデューサーが行い、番組の雰囲気に合う最新洋楽ナンバーを中心に選曲されていたが、一部例外として邦楽の英語詞ヴァージョンや、CD化されて再発売されたクラシックヒットナンバーの中から選曲されたケースもあった。
- 1代目セット時代(1987年4月 - 1989年3月)
- 正面背後にピンクの大砲を配置した、当番組の象徴ともいえるセット。関西ローカル時代に作られたもので、最もシンプルな雰囲気の造りであった。
- INFIDELITY(SIMPLY RED)
- これとは別に、番組初回の1987年4月22日にはオープニングトークの前に「China Junk」(窪田宏)を流していた。
- GONNA GET YOU(マイケル・フォーチュナティ)
- これとは別に、1987年7月頃、番組オープニングトークの前に「LIVING IN A BOX」(リヴィング・イン・ア・ボックス)のMVを流す回が数回あった。
- I HEARD A RUMOR(バナナラマ)
- LOVE IN THE FIRST DEGREE(バナナラマ)
- MONKEY SHOP(PRESET)
(LIVE PAPEPO 鶴+龍、最終回のエンディングにも使用。)
- 2代目セット時代(1989年4月 - 1991年7月)
- 全国ネット化から半年後、100回目の放送を機に、セットの模様替えを実施。1代目セットをベースに、「PAPEPO」の文字の電飾看板を配置するなどグレードアップしたもの。ピンクの大砲は舞台向かって左側奥に移設された。
- HE AIN'T NO COMPETITION(BROTHER BEYOND)
- IF I DON'T HAVE YOU(ジェイソン・ドノヴァン)
- CAN'T DENY A BROKEN HEART(ANNICA)
- SECRET LOVE(ビージーズ)
- 3代目セット時代(1991年8月 - 1993年5月)
- 全面模様替え。より大きな「PAPEPO」の文字の電飾や、背景ホリゾントに回転する「PAPEPO」の文字を映し出すライトを配置。茶色系配色を中心としたセットで、舞台背景全面に電飾を使用していた。
- 4代目セット時代(1993年6月 - 1995年12月)
- 回転する「PAPEPO」の文字のライトを除いて、全面模様替え。巨大な本や文具、スタンドなどを模したセットが置かれた机の上、背景は橋や高層ビルの町並みをイメージして造られたセットが用意された。
- TWENTY-FIVE HOURS A DAY(THE HOOTERS)
- TUESDAY MORNING(THE POGUES)
- I ONLY WANT TO BE WITH YOU(BLIDGETTE WILSON)※オープニングのみ
- STAY(ETERNAL)※エンディングのみ
- GIVE IT UP(CUT'N'MOVE)
- SWEETS FOR MY SWEET(C.J.LEWIS)
- DAYDREAM BELIEVER(THE MONKEES)
- WON'T WALK AWAY(NELSON)
- TOTAL ECLIPSE OF THE HEART~ボーナストラックREMIX(NICKY FRENCH)
- I'LL BE THERE FOR YOU(THE REMBRANDTS)
- 5代目セット時代(1996年1月 - 1997年9月)
- 4代目セットをベースに、より派手な電飾を施したセット。机の上を模した舞台は変わらず、「TK」の文字の形をした電飾ミラー、アーチ状の建物、受話器を天井から吊り下げたピンク色の巨大な電話のセットなどを配置。PAPEPOの文字の形をした謎の生物6体がペンキを塗ったりこぼしたりしている様子などを表現していた。
- 6代目セット時代(1997年10月 - 1998年3月)
- 全面模様替え。これまでの派手な電飾路線から一転して、砂漠を背景にした西部風の落ち着いたイメージのセットに変更され、舞台下手側には2階席も設置されたが、僅か半年後に番組が終了することとなった。
- UNTOUCHABLE(RIALTO)
- WHAM BAM(THE SCARLET)
ネット局
番組はローカルセールスのため讀賣テレビは上記スポンサー、それ以外の局はノンスポンサーか独自にスポンサーをつけていたかに分かれていた。地方局での放送は途中でネットが打ち切られたり、逆に開始された局もあり、中には東海地区の中京テレビなど、途中で一度打ち切られた後しばらくしてからネットを再開した地域もあった。
- 読売テレビ(制作局)
- 札幌テレビ
- 青森放送
- ミヤギテレビ
- 福島中央テレビ
- 日本テレビ(1988年10月11日ネット開始)
- 山梨放送
- テレビ新潟
- 静岡第一テレビ
- 北日本放送(1990年4月3日よりネット開始、初回は火曜 1:25 - 2:20であったが、4月10日以降は火曜 0:55 - 1:50。1995年9月12日まで放送。)[4]
- テレビ金沢(開局当初は日本テレビ同様火曜日未明 1:10 - 2:05(月曜日深夜)の放送。[5]のちに土曜日朝 9:30 - 10:25、1997年4月1日からは火曜朝 10:30 - 11:25に移動した。[6])
- 中京テレビ(自社制作枠『Club26』で全国のローカル番組の一つとして紹介後、正式なレギュラー番組として放送開始)
- 西日本放送(1988年10月8日ネット開始、当初は土曜 1:25 - 2:20(金曜深夜)枠で読売テレビと同時ネット[7])
- 広島テレビ(1988年10月8日ネット開始、当初は土曜 1:25 - 2:20(金曜深夜)枠で読売テレビと同時ネット[7])
- 山口放送(1993年10月4日ネット開始[要出典])
- 福岡放送(1989年4月2日0時(4月1日24時)ネット開始)
- くまもと県民テレビ
- 他
なお、1991年8月に発売したテーマ曲のCDジャケットには「全国17局ネット」と書かれているが、途中から開始したり・打ち切られるネット局はあったものの、おおむね15 - 20局でネットされていたと考えられる。
注釈
- ^ ただし、通常の放送枠ではなく日中に放送された。
- ^ 観覧希望者は朝に整理券を受け取り一度解散して、夕方に再集合していた。なお、収録日に関して番組後期はエンディングで日程の案内が表示され、その後讀賣テレビのみローカルで次週の収録の実施と整理券の配布時間の案内が表示されていた。
- ^ こちらは同じ上岡が司会の『上岡龍太郎にはダマされないぞ!』(フジテレビ)で突然発表された。ただし、1991年の新春SPだけは放送された。
- ^ これは東京タワーに設置してあるアンテナのメンテナンスのため、月・火が早終了のためだった。
- ^ ただし当日のものではなく、原則1週遅れでの放送であった。
- ^ 当然、当該発言は口元、または頭部全体をマル禁(赤地に白枠で丸囲みした「禁」)のスーパーで覆われ、音声もパトカーのサイレンの音でかき消していた。なお、マル禁を使うようになったのは放送開始から1年半が過ぎた1988年秋からで、それまでは音声カットや口の部分を黒く塗り潰す処理だけだった。
- ^ 1回目の新春スペシャル直前に放送されたフジテレビ制作の1987年 - 1988年の回は鶴瓶が総合司会の一員だった。
- ^ 1990年、1993年を除く(1990年は1月最初の通常放送に出演)。
- ^ 前者は「SPECIAL FOUR DAYS」、後者は「名作復活祭」の副題がついていた。
- ^ 1988年新春スペシャル、1988年6月3日放送分を除く
- ^ 読売テレビエリアのみのローカルスポンサーだったため、実質的には同局サービスエリア内の事業を行っていた当時の近畿郵政局がスポンサーだった。
- ^ 広島テレビでは、加美乃素本舗の1社提供または同社を筆頭とした複数社提供での放送だった。
- ^ 1993年4月 - 1994年3月及び1998年1月 - 3月は中止されていた。
- ^ 1988年3月21日 - 27日。
- ^ 1989年10月3日・1992年5月13日。
- ^ 1992年5月25日。武道館でこういったトーク・イベントは初だった。
- ^ 1996年9月28日。
- ^ このときの新聞の見出しには「救急車ピーポーパーペーポー」と書かれていた
- ^ この「長居パニック」は、結局後の「JAPAN TOUR」に決着が持ち越され、大阪城ホールと武道館を含めて上岡が1勝した以外は鶴瓶が全て勝利した。
- ^ 大相撲の約1万人に対し、当イベントは約2万人もの観客が来場した。番組中の公表による数値。
- ^ 当時はヘアヌードの解禁が話題となっていたこともあり、それに便乗したアイデアと言われている。
- ^ アオリは、「初公開! トクオの性日記」「お尻にモグラを飼う男出現。」「スクープ 浪花座に聖徳太子出演か!!!」「悲惨、実父の一家皆殺し計画」「緊急特集 10年後の日本を考える!」「完全独白。ボクのヰタセクスアリス」。
出典
- ^ 日本民間放送連盟編「これぞローカル番組 在阪・在名テレビ10局」『月刊民放』第18巻第7号、日本民間放送連盟、1988年7月1日、13頁、NDLJP:3471031/7。
- ^ “第25回ギャラクシー賞受賞作品”. 放送批評懇談会. 2014年11月14日閲覧。
- ^ マイケル宮内『笑えるけど超ヤバい! テレビ放送事故&ハプニング』、p110-p111、廣済堂出版、2007年7月、ISBN 978-4-331-51243-2。
- ^ 『北日本新聞』1990年4月2日、1995年9月11日付朝刊、テレビ欄。
- ^ 『テレビ金沢開局10年誌』(2000年3月、テレビ金沢発行)60ページ。
- ^ 『北日本新聞』1997年4月1日付朝刊、テレビ欄。
- ^ a b 出典:山陽新聞1988年10月7日付朝刊24面テレビ欄
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