長野桂次郎 家族

長野桂次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/21 09:45 UTC 版)

家族

  • 祖父・小花和八百橘成度(1850年没) - 西の丸御書院番[13]。夏目外記信行の三男として生まれ、隣家だった小花和家の養子となった(妻は米田平太郎の娘)[10]
  • 父・小花和度正(1813-1877) - 漢学に優れ、30歳で昌平黌教授、45歳で従五位下の諸大夫まで出世し、48歳で日光奉行を拝命し内膳正を名乗ったが、3か月ほどで先手鉄砲頭に格下げされ、49歳で御役御免、51歳で隠居した[10]長命寺の桜餅で知られる山本家の娘で阿部正弘の元妾だったお豊(音節)のもとに身を寄せ、漢詩人として余生を送った[10]
  • 母・クル - 小姓組・米田藤太郎の娘[10]。度正の後妻。
  • 叔父・立石得十郎(1829年生) - 長崎オランダ通詞[14]。万延元年遣米使節団に通詞として参加、桂次郎を養子・立石斧次郎として同使節に参加させる。著書に『旧幕使節米航紀行』がある。
  • 姉・加藤寿賀 - 長崎奉行組頭・加藤金四郎の妻。
  • 兄・小花和重太郎 - 旧幕府第七連隊歩兵指図役頭取[10]。戊辰戦争で戦死。
  • 孫・桜井成広 - 桂次郎の長女とめ(命名はトミーに由来)の子[10]青山学院大学教授
  • 曾孫・長野智子 - アナウンサー

トミー・ポルカ

当時米国ではラテンダンス音楽のポルカが流行っており、彼の人気ぶりにドイツ人音楽家チャールズ・グローブが1860年に作曲した「トミー・ポルカ」が誕生し、使節団帰国後に社交界で大ヒットとなり、舞踏会で踊られた[9]

“ TOMMY POLKA ”の歌詞

  • Wives and maids by scores are flocking round that charming, little man, Known as Tommy, witty Tommy, Yellow Tommy, from Japan.
  • 人妻も若い娘も群がるかわいい小さな男、その名はトミー、利発なトミー、黄色いトミー、日本からやってきた

ポルカのほか、1860年には異人種を揶揄するナンセンスな歌詞の"THE GREAT JAPANESE EMBASSY"なる曲なども作られており、「ジャパニーズ・トミー」の芸名で人気となった黒人芸人のコミカルなミンストレル・ショーなどの影響もあり、米国における日本人男性に対する滑稽なイメージが形作られた[1]

関連書

  • 金井圓『トミーという名の日本人 -日米修好史話』文一総合出版、1979年
  • 遊佐京平『万延元年のポルカ -幕末外交異聞』パンリサーチインスティテュート、1985年
  • 高橋義夫『メリケンざむらい』講談社、1990年
  • 赤塚行雄『君はトミー・ポルカを聴いたか -小栗上野介と立石斧次郎の「幕末」』風媒社、1999年

  1. ^ a b c d e 戸谷陽子「The "Jolly Jap":1860年代米国パフォーマンス空間における 日本人ストックキャラクターの形成」『英文学研究 支部統合号』第11巻、日本英文学会、2018年、105-113頁、doi:10.20759/elsjregional.11.0_105ISSN 1883-7115NAID 130007595112 
  2. ^ 青山霊園に眠る偉人・著名人一覧 立石斧次郎霊園・墓地検索サイト『ハナミズキ』
  3. ^ "Haunted City Three Centuries of Racial Impersonation in Philadelphia" Christian DuComb. University of Michigan Press. 2017 p113
  4. ^ a b c d e f 立石斧次郎教之万延元年遣米使節子孫の会
  5. ^ a b c d e f g h i j k l 長野桂次郎国立公文書アジア歴史センター
  6. ^ a b c d e f アメリカの貴婦人の人気をさらいビールを酌み交わす姿を写されたサムライ・立石斧次郎Kirin 歴史人物伝
  7. ^ a b 『うらやましい人』文芸春秋、2003年、p116 長野智子「トミーという名のひいおじいさま」
  8. ^ 【世界を驚かせた日本人】立石斧次郎 米国女性を熱狂させた幕末の侍アイドルZakzak by 夕刊フジ、2014.06.18
  9. ^ a b トミーポルカも再び大地踏む週刊NY生活、12/27/2019
  10. ^ a b c d e f g h 日光奉行小花和内膳正父子桜井成広、Howdy Tommy
  11. ^ 欧州に随行していた渋沢は知らなかったが、この頃渋沢の従兄の渋沢成一郎彰義隊を結成し頭取となり、転戦を重ねた末に、旧幕府方として函館政権に参加していた。
  12. ^ a b c d e 今井一良「佐野鼎の英学とTommy・立石斧次郎のこと」『英学史研究』第1983巻第15号、日本英学史学会、1982年、15-32頁、doi:10.5024/jeigakushi.1983.15ISSN 0386-9490NAID 130003437274 
  13. ^ 立石斧次郎の子孫系図
  14. ^ 立石得十郎(読み)たていしとくじゅうろうコトバンク


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