鋤田誠二 鋤田誠二の概要

鋤田誠二

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/05 01:20 UTC 版)

鋤田誠二
基本情報
国籍 日本
出身地 山口県
生年月日 (1965-01-18) 1965年1月18日(57歳)
血液型 A型
騎手情報
所属団体 福山市競馬事務局
所属厩舎 鋤田久(福山)
→江口秀博(福山)
→檜山博史(福山)
勝負服 黄、黒菱山形一文字
初免許年 1982年
免許区分 平地
騎手引退日 2009年5月31日
重賞勝利 34勝
通算勝利 15690戦2191勝
調教師情報
初免許年 2009年6月1日
経歴
所属 福山市競馬事務局(2009年 - 2013年)
石川県競馬事業局(2013年 - )
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騎手時代の勝負服の柄は黄、黒菱山形一文字。福山競馬場の元調教師・元騎手の鋤田久は実父で、中津競馬場の元調教師・元騎手の鋤田嵩は叔父。

経歴

騎手時代

1982年3月31日付けで地方競馬騎手免許を取得し、鋤田久厩舎からデビュー。同年5月1日福山競馬第2競走でマロツトパールに初騎乗(9着)。同年5月29日福山競馬第1競走でオークライトに騎乗し初勝利。

1986年1988年1989年1990年1991年1998年に福山競馬リーディングを獲得。

1990年、1991年、1993年2002年にNARグランプリ優秀騎手賞を受賞。

1999年、地方競馬通算1500勝達成。

2005年10月16日第10回福山競馬2日目第9競走伊藤学サヨナラ記念でナイスバンチ(9頭立て3番人気)に騎乗し地方競馬通算2000勝達成。地方競馬では史上61人目。福山競馬場の生え抜き騎手では初の2000勝達成騎手。

2007年1月、鋤田久調教師死去に伴い江口秀博厩舎に所属変更。その後檜山博史厩舎に所属変更した。

同年2月14日第22回園田競馬3日目に実施された第15回ゴールデンジョッキーカップに出場。同日第7競走ファイティングジョッキー賞をレッドインパルスで逃げ切り優勝した(12頭立て5番人気)。続く2競走では下位にとどまり、総合成績は5位[1][2]

同年3月17日第19回福山競馬1日目第1競走アラ系C212組条件戦をタケゼンで優勝(8頭立て4番人気)し、14727戦目で地方競馬通算2100勝達成[3]

調教師転身のため、2009年5月31日付けで騎手引退[4]

地方通算成績は15690戦2191勝・2着2028回・3着1914回・勝率14.0%・連対率26.9%。

主な騎乗馬

  • ギバイスター(1983年クイーンカップ
  • リキハイ(1985年金杯、1986年福山大賞典
  • テンマリユセイ(1988年福山桜花賞)
  • ニホンクロス(1988年ヤングチャンピオン)
  • ダイセイカン(1990年福山大賞典、福山マイラーズカップ)
  • グリンダイオー(1990年鞆の浦賞、1991年・1992年福山大賞典)
  • ハイセンプー(1991年鞆の浦賞)
  • リバーハンガン(1991年福山4歳牝馬特別)
  • ラビットジョージ(1991年ヤングチャンピオン)
  • イナリセンプー(1992年福山ダービー
  • イエローホーマー(1992年ヤングチャンピオン、1993年キングカップ、1994年福山菊花賞)
  • ダギロ(1996年福山ダービー)
  • グレートマルゼン(1996年金杯)
  • ノアオーカン(1996年ヤングチャンピオン、1997年銀杯)
  • ミナミアロー(1997年新春賞)
  • ジョージバロン(1998年ヤングチャンピオン、1999年キングカップ)
  • ダイニアキフジ(2002年キングカップ)
  • ホマレエリート(2002年ローゼンホーマ記念、2003年福山マイラーズカップ)
  • メガビソウ(2003年新春賞)
  • タッカーワシュウ(2004年福山ダービー)
  • クロマルジョージ(2005年銀杯)
  • シルクニューヒット(2007年サラ系キングカップ)
  • モモカプリンセス(2007年サラ系クイーンカップ、鞆の浦賞、福山3歳牝馬特別)

調教師時代

2009年5月22日、平成21年度第1回調教師免許試験に合格し、同年6月1日付けで調教師免許取得[5][6]。同年7月に厩舎開業。

福山競馬場の廃止に伴い、2013年4月1日付けで金沢競馬場へ移籍した。

地方通算成績は4295戦407勝・2着420回・3着493回・勝率9.5%・連対率19.3%(2021年6月27日時点)。

主な管理馬

人物・エピソード

晩年は怪我などで存分に活躍はできなかったが、デビュー当初から持ち前の豪腕で名を知らしめ、1985年12月10日大井競馬場で行われた第31回全日本アラブ大賞典に遠征、道中福山とは違う広いコースで早仕掛けをするも、その豪腕で騎乗したバビロンニセイを5着に粘らせた。

また、自厩舎で多くのレースを勝ち、父である鋤田久との親子鷹で、同年の双方のリーディングを獲得した事が3度ある。さらに他厩舎の勝てない馬に乗り変わると、「馬を壊す覚悟の大勝負」とファンから捉えられるほどの道中で、旧福山コースのきつい4コーナー(2005年にサラブレッド導入に伴い改修)でスピードを緩めずインをハングオンの様に乗る事で、外に膨れずに最短コースを全速で走らせるという荒業を見せていた。




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