遠藤事件 国賠訴訟

遠藤事件

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/29 04:56 UTC 版)

国賠訴訟

無罪判決が確定し、遠藤は442万5519円の刑事補償を受け取った[170]。だが、遠藤と651人の代理人弁護士は[171]、この補償を全額注ぎ込んでの国家賠償請求訴訟を[170]1991年1月7日に提起した[172]。1100万円の賠償を求めて[173]、遠藤と阿部を始めとする原告側が被告としたのは、国のみならず起訴検察官と一審・控訴審裁判官の計7個人であり[注 18]、特に裁判官個人に対する提訴が行われた点では、極めて異色のものとなった[172][注 19]。そして原告側が何よりも問題視したのは、かつて遠藤に有罪判決を下した裁判官の中に、その後栄転した者が複数いるということであった[60][注 20]

原告側の主張

検察官の行為の違法性

原告側は、検察官による公訴の提起・追行について

  • バス運転手の証言からみた、遠藤のアリバイ成立可能性の見逃し
  • 右後輪のシミ (1) の形成メカニズムの不合理の見逃し
  • 右後輪のシミが検問で見過ごされた不合理の見逃し
  • 遠藤車前面の布目痕からみた、被害者の轢過様態の不合理の見逃し
  • 重要な物証である被害者着衣を処分させたこと
  • 地検召喚段階で否認に転じた遠藤の供述の検討不尽

において、経験則・論理則からして不合理なまでの有罪心証形成をなした違法・過失があると訴えた[180]

裁判官の行為の違法性

原告側はまた、一審裁判官について

  • 「自己の記憶に反して不本意」なものであると第一発見者が述べた検面調書の証拠採用(刑訴法第321条第1項第2号の自己矛盾供述許容規定に当らない[181]
  • 「検問表」を丸暗記しただけの警官の証言の採用(刑訴法第324条の伝聞証拠禁止原則違反[153]
  • 検察側すら争わなかった遠藤車とバスのすれ違い地点に関して、弁護側に抗弁する機会も与えず、無断で「現場より新潟市方面の地点」へとずらした不意打ち認定(刑訴法第308条憲法第37条第2項に関する最高裁判例[182][183]違反[129]
  • 右後輪のシミが検問で見過ごされたという不合理な認定
  • 検察側と弁護側が激しく争っていたはずの、付着物の発見場所についての判断回避
  • 血液予備試験結果が陰性であれば血液ではない、という法医学の常識に反した認定
  • 江守鑑定および船尾鑑定を、なんら合理的な理由を示すことなく排斥した恣意性
  • 事故様態について、上山鑑定の「2回の轢過」という部分のみを採用し、「被害者はうつ伏せであった」との部分を対抗鑑定もなく無視した恣意性(証拠裁判主義違反[184]
  • 部分的に採用した上山鑑定と矛盾する、1回のみの轢過を示す遠藤の自白の証拠採用(刑訴法第378条第4項の理由齟齬[102]
  • 同じく、「右後輪に人血が付いている」との偽計を用いて引き出された自白の証拠採用(最高裁判例[185]違反[102]
  • 布目痕鑑定に関する検察側立証を撤回させ、その反面で、立証がほぼ終了していた段階での検問関係の検察側補充立証を許容した偏頗性(刑訴法第294条の訴訟指揮権の濫用[147]

において、遠藤を何としてでも有罪に導こうと、付与された権限の趣旨に明らかに反した権限行使を行った、と主張した[186]

控訴審裁判官についてはこれに加えて、

  • 伝聞証拠に過ぎない「検問表」の証拠採用
  • 遠藤の職場で付着物が発見されていたにもかかわらず、証拠保全措置もなく遠藤自身に岩沼署までトラックを運転させた、という不合理な認定(「被告人の員面調書には、職場で付着物が発見されていないとは明記されていない」と判示した、近代裁判から逸脱した「推定有罪」の論理[142]

において、一審裁判官と同様、故意または単なる過失に留まらない重大な過失・違法が存在する、と述べた[187]

庭山は、一審判決について「こういう判断をする裁判官はその職を退いてもらうほかないとさえ思う」と怒りを露わにし[188]、阿部もまた、控訴審裁判官が「検問表」作成者の立場を独自に認定したような、証人の立場を意図的に歪める行為は「もとより証拠の解釈などという問題ではない」、「司法権裁判権を裁判官に付託した主権者の国民に対する重大な裏切り行為である」と述べ[159]、一審・控訴審判決は「結論を決めた行政処分のようなものであって、真の意味での裁判ではない」と批判した[189]。庭山の他に、阿部泰隆小田中聰樹や宗岡嗣郎などの法学者も、本判決を国賠法上違法であると指摘している[190][191]

一方、この訴訟で原告側が提出した訴状においては、桂鑑定が「箸にも棒にもかからない鑑定」と批判され、その反応時間が桂の謳うものと違っていることにも弁護側は一審から気付いていた、とされている[192]。この点について桂は、その批判には理由の説明すらなく、また反応時間の違いに一審から気付いていたのなら、なぜその疑問を照会も証人申請もせずに放置したのか、と抗議の弁を述べている[192]

国賠一審判決

だが、1996年3月19日に東京地裁裁判長の村田鋭治が言渡した判決は、国家賠償の実情について「画餅と化している」とまで批判しながら、原告側の主張をすべて退けるものであった[193]

検察官の行為について

起訴検察官の行為の違法性については、一審・控訴審と審理が重ねられてなお有罪判決が下された事実を考慮すれば、公訴の提起・追行が違法であったとは言えない、とされた[194](検察官の責任については、その訴追裁量が極めて緩やかに設定されていることから、庭山も訴訟が成功するとは当初から考えていなかった[195])。

裁判官の行為について

総論
違法性の判断基準

国賠判決はまず裁判の違法性問題総論について、判決が確定した場合と、上訴再審によって原判決が取り消された場合を区別しない従来の裁判例を批判する[194]。そして、確定判決に国賠法上の違法を問い得るまでの瑕疵が存在するのであれば、国賠訴訟以前に上訴・再審によって不当の是正を図るべきであり、取消しを待つことなく国賠訴訟の対象となる違法な行政処分(後見的・潜在的な司法審査対象)とは同一視すべきでない、と述べる[196]。そして、確定判決に対する国賠訴訟は司法自らによる三審制の否定であり、許されないと判示する[196]

次に判決は、判決が上訴・再審によって取り消された場合であっても、前訴が即座に国賠法上違法とはならない、として結果違法説を否定する[196]。そして、単なる事実認定や法令解釈に関する見解の相違を違法に問うことは、自由心証主義の趣旨に反し、時代的・社会的状況の変化を無視するものである、と批判する[196]。また判決は、裁判官の職務行為の違法性を「不法な目的」、すなわち悪意に基づくものに限定する違法性限定説にも反対する[196]。違法性を悪意に限定することは、国賠法第1条第1項の定める要件「故意又は過失」と齟齬し、そもそも裁判官の内心に立ち入る時点で立証不可能なものである、と述べる[196]

この点から判決は、裁判官が悪意を持って遠藤に有罪判決を下したという原告側の主張を、裁判官を法廷に引きずり出して不満を弾劾するための方便に過ぎず、また彼らの内心を問題とする立証不可能なものである、と批判した[197]。そして、「公務員が職務上与えた損害は個人が責を負わない」とする芦別事件国賠判例[198]を援用し、本件訴訟の裁判官個人を対象とした部分は「やや冷静な証拠判断から離れた主観的・感情論に基づく主張に終始した」失当なものである、と退けた[199]

そして判決は裁判行為の違法性について、職務行為基準説の中で、裁判官が「著しく不合理な事実認定」を行った場合に国賠法上の違法性が認められる、とした[197]。そしてその基準については、「普通の裁判官の少なくとも4分の3以上の裁判官が合理的に判断すれば、当時の証拠資料・情況の下では、到底そのような事実認定をしなかったであろうと考えられる」場合である、と設定した[197]。控訴審についても、事後審であることはより高度な裁判所法・刑訴法上の義務履行が求められるものではなく、一審と同程度の基準による違法性判断で足りる、とした[200]

刑事判決に対する評価

国賠判決は一審判決を、先に情況証拠(第一発見者やバス運転手の証言)によって遠藤を有罪と結論した後で、無罪を推定させる証拠を切り捨ててゆく手法を用いたがために、各証拠が孕む合理的な疑いや、真犯人特定のためのより合理的なアプローチを見逃した、と批判した[201]。そしてそもそも、交通事件という開かれた場において、情況証拠に基づいて「遠藤車以外に轢過車両は存在しない」という悪魔の証明を求めたことに無理があった、と指摘した[201]。国賠判決は控訴審判決についても、「控訴趣意書に凝縮された各争点について、合理的疑いをもって審理すれば、本件無罪判決の指摘する本件一審判決についての疑問に気づいてしかるべきであった」と批判し、対する上告審判決を「理想的なあるべき刑事裁判の姿を示している」と称賛した[202]

しかし国賠判決は同時に、現状の裁判実務では、上告審の理想的なスタンスとは裏腹に「『真犯人を見逃してはならない』との命題に近い立場から」情況証拠・間接事実を総合的に判断して有罪を認定するスタンスも存在する、と指摘する[201]。そして、一審・控訴審判決はともに、「普通の裁判官の少なくとも4分の3以上の裁判官が合理的な判断をすれば、当時の証拠資料・情況の下では到底そのような事実認定をしなかったであろうと考えられるほど著しい事実誤認」は犯していない、と結論した[202]

各論
第一発見者の証言について

国賠判決によれば、まず「現場付近で最後に4トントラックとすれ違った」とする第一発見者の証言は、交通量の少なかったであろう現場の状況を、詳細かつ一貫して供述している[203]。目撃したトラックを「冷凍車ではない」と述べた検面調書についても、第一発見者は初めての出廷で動揺していたと思われる一審第7回公判のみにおいてそれを否定し、またそれと矛盾する別の調書が存在した形跡もない[203]。その任意性に関する争いも、特信性判断の前提判断に過ぎない[203]

検問関係の証言について

検問についても、車体前面を中心に5分程度見分しただけでは、右後輪の付着物が見過ごされた可能性は排除できない[204]。控訴審裁判官が検問の実地検証申請を却下した点についても、実際の検問手順が不明であるうえ、「付着物の存在を知らない」心理状態での再現検証が不可能であることを考慮すれば、不当とは言えない[200]

現場から検問所までの車列についても、遠藤と後続トラック運転手の双方が、車列変更がなかったことを認めている[205]。また、現場から検問所までに存在する4本の枝道も、未通や極端に交通量の少ない道であるとの報告が、警察からなされている[205]。「検問表」を丸暗記しただけとされる警官についても、警官は公判段階での補充捜査には従事しているため、「その証言内容が伝聞供述にはあたらないとする考え方が、必ずしも成り立たないものではな」い[205]。また確かに控訴審判決は、被告側も認めるように、検問票を「検問表」に書き写した警官を検問票作成者と認定する誤りを犯した[206]。しかしこの警官の証言は、他の証言を補強する証拠採否手続きに関するものに過ぎず、誤判を直接的に招来したものではない[200]

アリバイ成立の可能性について

遠藤のアリバイ主張についても、遠藤の供述に従えば、酩酊状態の被害者が現場まで30秒程度で20メートル以上移動してきたことになる不自然性がある[207]。また上告審判決の指摘とは異なり、実況見分調書添付写真からは、現場付近にはタクシー会社の電飾看板と同大同形の看板が数多く設置されていたことが確認できる[207]。よって、バスとのすれ違い地点に関する遠藤の供述にも疑念を挟む余地がある[207]。さらに控訴審判決では、新たにタコグラフタイムカードも引用してバス運転手の証言が検討されており、控訴審は一審に対するチェック機能を果たしたと評価できる[200]

遠藤車とバスのすれ違い地点を裁判官が独自に認定した点についても、検察側から異議がなかったことは民事裁判での自白のように認定を固定する効果までをも持たないため、結局は弁護側主張の信用性判断の問題に過ぎない[207]

遠藤の自白について

遠藤の自白についても、実況見分の際に痕跡が残っていない事件現場をほぼ正確に指示し、また記憶にない事柄については一貫してそのように述べている点から、取調官による強制があったとは認められない(ただし、遠藤が自車の点検や上司への報告を行った形跡がない点から、その自白は完全に自発的なものではなく、取調官の示唆に基づくと解するのが自然ではあった)[208]

付着物の発見経緯について

一審判決が付着物の発見経緯について判断を回避した点についても、刑事判決が必ずしも被告人の主張すべてに理由を説示する必要はない(刑訴法第44条および第335条[204]。宮城県警が遠藤の職場でトラックから付着物を発見していた、という控訴審判決の認定についても、「常に、その発見場所において直ちに押収手続が行なわれるものでなく、〔中略〕場合によっては、最寄りの警察署等において押収手続をとることもあり得る」ため、著しく不合理とは言えない[200]。付着物が捏造されたという原告側の疑念についても、得られた鑑定結果の薄弱さからすれば考えられない[200]

各鑑定について

上山鑑定についても、その「被害者はうつ伏せであった」という部分は江守鑑定・井上鑑定によって批判されている[204]。一方の江守鑑定についても、その右後輪のみによる轢過を前提とした部分は井上鑑定・上山鑑定によって批判されている[209]。控訴審段階で江守が提出した鑑定補充書にも、なぜ自鑑定が「右前輪による轢過如何に影響を受けない」のかについて充分な回答がない[200]。控訴審判決も、事故様態については新たに鑑定書・調書を検討して独自の認定を行っている[200]。このように、元来極めて解明困難である交通事故様態に関する意見が各鑑定人の間で食い違っており、裁判官はその状況下で「『真犯人を見逃してはならない』との命題に近い立場から」各証拠を総合評価するスタンスを取ったと思われる[209]

桂鑑定が使用した顕微沈降反応法の有用性は、船尾も認めるところである[208]。また、その鋭敏度も船尾鑑定による輪環反応法の1万倍を誇るため、桂鑑定の採用と船尾鑑定の排斥についても不合理とは言えない[208]。控訴審判決が、新潟県警鑑定による血液予備試験結果のみから人血反応を肯定し、試料の希釈を理由に船尾鑑定を排斥した、という原告側の主張も、判示を誤読したに過ぎない[199]

判決に対する批判

法律論について

国賠判決は、結果違法説を「自由心証主義の趣旨に反し、時代的・社会的状況の変化を無視するもの」として否定し、職務行為基準説を採用した[210]。これについて宗岡は、自由心証主義とはそもそも、裁判官による自由な心証形成を認める(すなわち、司法権の独立を保障する)ことが無辜の処罰を典型とした国家不法行為の抑制に繋がる、という経験則に支えられたものである[211]。よって自由心証主義は「疑わしきは罰せず」の下位規範であり、それをどれだけ拡大したとしても、結果生じる無辜の処罰を正当化する機能を持ち得ない、と批判した[211]

また宗岡によれば、「時代的・社会的状況の変化」に影響されない解釈が存在しないことを前提とするのであれば、結果違法説のみならず職務行為基準説もまた成り立ち得ない[212]。そして、違法性を「著しく不合理な事実認定」であるか否かのみで判断する職務行為基準説は、「事実誤認によって被告人が被った権利侵害」という現実を判断の埒外に置き、「国家による人権侵害の弾劾」という国賠訴訟の本来的核心を、訴訟の背後へと後退させるものである、とされる[213]

一方、国賠判決は職務行為基準説に基づき、裁判官の行為に違法性が生じる基準を「普通の裁判官の少なくとも4分の3以上の裁判官が、合理的な疑いを持って無罪の事実認定をしたであろう事案」について有罪判決を下した場合である、とも判示している[195]。しかしこれについて庭山は、どのように4分の3を超えたかを判断するかがまったく不明であり、また4分の3以上の裁判官がおかしいと感じなければ違法にはならないという考えは、有罪確信の定義である「道徳的確実性英語版」や「確実性に接着した蓋然性」などの概念とも衝突する、と批判した[195]

また国賠判決は、情況証拠・間接事実を総合的に判断して有罪を認定するスタンスが裁判実務の現状であることを指摘し、一審判決を免責している[195]。これについても庭山は、裁判実務が積極的実体的真実主義(すなわち犯人必罰主義)にあることを容認するものであり、明白な刑訴法第1条および憲法第37条デュー・プロセス)違反である、と批判している[214]

事実認定について
アリバイ関係の証言について

国賠判決は、遠藤の供述の「現場から検問所までは追い越しも追い越されもしなかった」という部分を理由に、遠藤車と後続トラックとの間に車列変更がなかったという一審判決の認定が著しく不合理とは言えない、とした[215]。しかし同時に、何事もなく運転していたはずの遠藤が、「タクシー会社の電飾看板付近でバスとすれ違った」と記憶しているのは不自然であるとして、遠藤のアリバイを否定した一審判決の認定も著しく不合理とは言えない、とも述べている[216]。さらには、「すれ違い車両は、現場よりいわき市方面での一台のみである」と述べた第一発見者の証言を理由として、遠藤車の犯行車両性を肯定した一審判決の認定も免責している[215]

このように一審判決は、遠藤の運転中の記憶に関する証言のうち、遠藤のアリバイを補強する部分のみを排斥するが、同じく第一発見者の運転中の記憶に関する証言であるにもかかわらず、遠藤のアリバイを否定する内容は採用している[215]

また国賠判決は、遠藤の供述に従えば「酩酊状態の被害者が現場まで30秒程度で20メートル以上移動してきたことになる」不自然性を指摘して、遠藤のアリバイを否定した一審判決の認定は著しく不合理とは言えない、とも述べている[217]。しかし、その判断の前提である「30秒」という数値はバスの速度から割り出した不正確なものに過ぎず、「20メートル」という数値に至ってはほぼ完全に一審裁判官の想定に過ぎない[218]。国賠判決は「この事実認定が原告のアリバイを否定するためのものとしては仮説を含んだもので、依然、疑問が残るといわざるをえないが」、なおも著しく不合理とは言えない、とした[219]

宗岡はこれを要するに、一審判決は現実に存在したか不明確な状況(フィクション)を想定しておいて、それを基準に供述の信用性を判断するという推理小説と同レベルの認定を行っている、と述べた[218]。そして、「現実を審判する」という刑事裁判の大前提を崩せば、判決に対する一切の批判は「見解の相違」に吸収され、事実に基づく検証そのものが成り立たなくなる、と批判した[218]

また庭山によれば、自由心証主義の下では裁判官は、当事者主義に基いて中立の立場をとることが求められる[220]。しかし一定の条件の下では、「被告人側に傾いたピサの斜塔」であることが許容される[220]。例えば刑訴法第298条第2項によれば、職権発動によって問題を取り上げなければ被告人に決定的に不利になる場合には、裁判所はその問題を当事者に注意喚起する必要がある[220]。そして遠藤のアリバイ主張はまさにこれに該当し、一審・控訴審判決は明白に刑訴法第308条および憲法第37条第2項に違反するにもかかわらず、国賠判決はこれに一切触れなかった、と庭山は批判した[220]

付着物関係の証言について

国賠判決は、「トラックからの付着物は遠藤の職場では発見されなかった」という遠藤の上司の証言を退け、「付着物は職場で発見されていた」という警官らの証言を採用した控訴審判決についても、「場合によっては、最寄りの警察署等において押収手続をとることもあり得る」ため、著しく不合理とは言えないとした[216]

これについても宗岡は、ひき逃げ事件の直後に被疑者の車両から「血痕様付着物」を発見しておきながら、なぜ即座に証拠保全も記録も行わなかったのかについての検証がなされていない、と批判した[218]。そして、この点を無視して「場合によってはあり得る」ため「著しく不合理とは言えない」というような違法性判断を行うことは、どれほど恣意的な事実認定さえ免責してしまうものに他ならない、と述べた[218]

その他の証言について

国賠判決は「検問表」を丸暗記しただけの警官についても、「報告書の作成経緯およびその過程で知り得た事項」について証言しただけであるため、「伝聞証拠に当たらないとは言えなくもない」とした[221]。原告側はその「知り得た事項」の中に「検問表」の内容が含まれてる伝聞性を訴えていたが、国賠判決はこれについて一切触れなかった[221]。原告側の訴えである、「無理矢理作成された」はずの第一発見者の検面調書を、その特信性を肯定せんがために、片々たる情況証拠をかき集めた一審裁判官の訴訟態度についても、国賠判決は具体的には触れなかった[222]

総合的なスタンスについて

国賠判決は、控訴審判決が「合理的疑いを持って審理すれば、上告審が指摘する一審判決についての疑問に気付いて然るべきであった」と指摘する[195]。これはすなわち、控訴審裁判官が「合理的疑いを持って審理」しておらず、「疑わしきは罰する」という「不法な目的」を持って審理に臨んだことを明示している、と庭山は批判した[195]。最終的に庭山は、「『実務の実際においては疑わしきを罰してもやむを得ない』と明言している」本国賠判決に対しては、「その他の刑訴法違反問題を検討する意欲を失った」と述べている[221]

一方で国賠判決は、上告審判決を「理想的なあるべき刑事裁判の姿を示している」と称賛する[223]。しかし、上告審判決の指摘は一般大衆の日常生活における「常識」であり、これを「理想」とする国賠判決こそが、一審・控訴審判決と同じく日常生活の常識から大きく乖離したものである、と宗岡は批判した[223]。そして宗岡も、「もし、この事例において過失がないと言うのであれ、民事過失であれ刑事過失であれ、もはや裁判所に過失を認定する資格はない」と結論している[191]

国賠控訴審

第一発見者の検面調書について

棄却判決を不服として東京高裁へ控訴した原告側は[224]、次なる争点として、「すれ違った車は冷凍車ではなかった」という内容の、第一発見者の検面調書について疑念を唱えた[225]。そしてこの検面調書について、

  • 冷凍車であることを否定する記述が、文脈に関係なく唐突に出現する
  • 調書作成時期の特定できる記述があるページが、他のページと用紙や筆圧が異なる
  • そのページになされた第一発見者の署名が、他の第一発見者の筆跡と異なり、調書作成検察事務官のものと酷似している

などの理由から、一審第7回公判の後になって急遽偽造されたものである、と主張した(ただし、第一発見者自身は検察側による偽造を否定している)[225]

文書提出命令申立て

旧民事訴訟法下

付着物が検問で見過ごされた不自然性をなおも訴える原告側は、そもそも「検問表」などの証拠資料が起訴時点で検察官の手元に存在しなかった可能性も、新たに指摘した[226]。そして、本件の被疑事実に関する送致書・書類目録および関係書類追送書につき、旧民事訴訟法第312条第3号の定める「法律関係文書」および「引用文書」に該当するとして、文書提出命令を申立てた[226]。しかし1997年6月9日に東京高裁は、本件各文書は法律関係文書にも引用文書にも該当しない、として原告側の申立てを却下した[226]

却下決定によれば、旧民訴法第312条第3号の定める「法律関係文書」とは、挙証者=所持者間の当該法律関係それ自体、あるいは法律関係の基礎・裏付けとなる事実を明らかにする目的の下に作成された文書を指す[226]。そして、文書の所持者が専ら自己使用の目的で作成したような、いわゆる「内部文書」は法律関係文書に該当しない、とする[227]

原告側は、捜査資料についても捜査・逮捕によって自由の制約が生じる点で「捜査法律関係」が成立する、として本件各文書も法律関係文書に含まれると主張していた[228]。また、送致書・書類目録は弁解録取や勾留理由開示手続きなどに利用されるもので、挙証者と所持者らの共同の目的・利用のために作成された「共通文書」であって内部文書ではない、とも主張していた[229]。しかし決定は、送致書・書類目録や関係書類追送書はいずれも、警察=検察官間で送致の手続き・内容を明確化し、事件処理を円滑化するための連絡用内部文書に過ぎない、とした[229]

この決定は、捜査資料が「捜査法律関係」文書に該当する、として提出命令申立てを容認する近時の裁判傾向に対し、伝統に立ち帰って「法律関係文書」を狭く解釈する先例的意義を認められている[229]

新民事訴訟法下

原告側はこれを不服として特別抗告を申立てたが、旧民訴法第419条の2の定める抗告理由に当たらない、として最高裁はこれを退けた[226]。しかし、翌1998年には改正民訴法が施行され、「専ら文書の所持者の利用に供するための文書」を例外として、文書提出義務が一般化されるようになった[230]。そこで原告側は、1999年3月22日に再度文書提出命令を申立てたが、やはり東京高裁の塩崎勤裁判長は8月2日にこれを却下した[230]

さらに原告側は、新たに設けられた許可抗告制度を利用し、再び最高裁の判断を仰いだ[230]。しかし、2001年7月13日に最高裁は、3対2の僅差で申立てを却下した[231]。3名による多数意見は従来通り、捜査書類は法律関係文書に該当しないというものであったが、河合伸一梶谷玄両裁判官は、捜査書類についても提出義務を認めるべきとする少数意見を展開している[231]

両裁判官の反対意見によれば、本件各文書は

  • 刑訴法などによって規律された被疑者=検察官間の法律関係に際して作成されている
  • 民事上の実質的対等確保に必要とされる
  • 警察・検察・裁判所への提出が予定されており、裁判官も刑事手続上参照する
  • 犯罪捜査規範により作成が義務付けられている

などの理由から内部文書に該当せず、提出義務が課されるとされた[231]。また民事法学者である町村泰貴も、公益の代表者たる検察官および国には、冤罪発生原因に少しでも関連する捜査資料を開示する責任があると指摘する[231]。そして、冤罪事件の国賠訴訟においては、捜査資料も法律関係文書に含まれると定型的に解釈すべきである、と最高裁決定を批判している[231]

国賠控訴審・上告審判決

その後、2002年3月13日に雛形要松が指揮する東京高裁は、一審と同様の判断基準に基づき、遠藤による国賠請求につき控訴棄却の判決を下した[232]。第一発見者の検面調書が偽造された、という原告側の主張についても、それを認めるに足る証拠はないとして退けられた[233]。原告側はさらに上告したが、2003年7月11日に梶谷玄が指揮する最高裁第二小法廷も上告を棄却し、遠藤の敗訴が確定した[234]







英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「遠藤事件」の関連用語

遠藤事件のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



遠藤事件のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの遠藤事件 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2024 GRAS Group, Inc.RSS