足利事件
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事件の経緯
事件発覚から誤認逮捕まで
- 1990年(平成2年)5月12日
- 栃木県足利市内のパチンコ店で父親がパチンコをしている間に、同店駐車場から女児(当時4歳)が行方不明になる。被害者の女児は当時赤いスカートと白いシャツという服装であった。
- 1990年(平成2年)5月13日
- 渡良瀬川の河川敷から幼女の全裸死体が発見された。幼女の衣服に付着していた体液から、犯人の血液型はB型と判明した。[1]犯人は逃走した。
- 事件発生の時間に現場付近の運動公園にいた多数の人物が、赤いスカートを履く被害者の女児を連れて歩く不審な男の姿を目撃しており、警察にも証言している。そのうち、日本テレビの番組が探し当て取材協力を要請した買い物途中の主婦、買い物途中の女性美術教師、ゴルフ練習をしていた男性などは、テレビ取材にも応じている。
- この事件は、当時のテレビニュース番組で被害者の特徴が繰り返し放送され、情報提供を求むビラも配られ、人の目に触れる機会が多かった。また、被害に遭った女児の服装は事件当時の夕方でも目立ちやすく印象に残りやすい「赤いスカート」(赤は、膨張色、進出色、警戒色であり、暗い場所でも視認されやすい色である)であった。つまり、この事件は、多くの人たちに目撃され、記憶に残りやすい事件であった。目撃者の1人である女性美術教師は近年になってもその時の光景をスケッチに描けるぐらいで、実際に当時警察でもスケッチを提示し、日本テレビの取材でも同じようなスケッチを提示している。
- ゴルフ練習をしていた男性は目撃した男について「マンガのルパンみたいだった」と話している。
- 実際にこの目撃証言を裏付けるようにこの不審な男と被害者の女児が歩いていった先の中州で被害者女児の遺体が発見されている。
- それに対し、菅家利和の自白(虚偽強要自白であったが)内容にあった、被害者女児を自転車の荷台に乗せて土手を下る菅家の姿を見た証言は存在しない。[2]
- 1990年(平成2年)5月 - 1991年(平成3年)12月
- 栃木県警察は当初は前述の目撃証言を元にした捜査を行っていたが、わずか数か月(1990年(平成2年)5月 - 12月ぐらいまで)でその方面の捜査を取りやめている。その取りやめの理由は不明である。ちなみに、目撃証言が存在していたことやそれに基づく捜査が行われていたことが初めて公にされたのは近年の清水潔の調査報道によるものである。
- その後、警察は「独身男性で子供が好き」というプロファイリングに則り、聞き込みなどの地取り捜査方針に切り替える。そして、そのプロファイリングに合致する人物として、菅家利和という人物が捜査線上に浮かび、彼の身辺捜査を開始する。ちなみに、その時点での菅家利和に前科前歴はなかった[3]。
- この警察の採用した「プロファイリング」の捜査手法は、即、犯罪性のある人物像に繋がるわけでもなく、それに合致しただけの菅家利和の単なる生活習慣も、即、不審人物視、不審行動に繋がるわけではない。その上、その情報提供者である住民の証言が菅家利和を明確に不審視する旨の証言だったのかどうかも不明である。また、同じ時期、警察はより確実性の高い前科前歴から数人の男を行動確認している[2]。
- 当時の菅家利和は幼稚園バスの運転手をしていたが、1991年(平成3年)始め頃に勤務先への刑事の聞き込みが原因で解雇され、その後、警察に逮捕されるまで、本人は無職の状態だった。
- 1991年(平成3年)12月2日
- 栃木県警察本部は同市内に住む菅家 利和(当時45歳)を、猥褻目的誘拐と殺人の容疑で逮捕する。
- 逮捕の決め手は「女児の下着に付着していた体液のDNA型と菅家のDNA型とが一致した」ことである。しかし、1991年(平成3年)の時点におけるDNA型鑑定の技術では、別人であっても、1000人に1.2人の確率でDNA型も血液型も一致する可能性があった[4]。
- 当時の栃木県警察本部は、総勢180人余の捜査本部を設置して捜査をおこなっていた。
- 警察が任意同行を求めた理由とされる菅家利和のDNAサンプルは、先に菅家利和が指定ゴミ収集場に捨てたゴミ袋より収集した体液の付いたティッシュペーパーから検出したものであった。その時のゴミからの証拠収集が菅家利和や市町村役所の環境保全課などのゴミ回収を担当する管轄部署への令状執行を行った上での活動だったのかは不明。
- 菅家利和の父親は息子の逮捕後まもなくショックで亡くなった。無実を信じていた母親も釈放の2年前(2007年(平成19年))に亡くなった。逮捕前々日の11月30日に栃木県足利市の実家で一緒に過ごしたのが最後となった。菅家利和は釈放後、「亡くなったと聞かされ、本当に胸が詰まった。事件が、家族も、自分の人生もばらばらにした」と語った。
取調べ、裁判
- 1991年(平成3年)12月 - 1992年(平成4年)
- 菅家利和は警察や検察の取り調べ時に犯行を自白(後に虚偽を強要された事によるものであることが判明)し、犯行を認める上申書を提出(情状酌量ヲ考エタ弁護士ノ助言ニヨル)するが、 第一審の途中(第6回公判)から否認に転じ、無罪を主張する。
- 当時、DNA型鑑定は警察庁科学警察研究所に導入されたばかりであり、弁護側は「信頼性に疑問がある」としていた。
- 1993年(平成5年)
- 足利市内に住む西巻糸子が疑問を抱いて拘置所に手紙を出して菅家利和に面会を求めるが拒否される。しかし、面会拒否が菅家利和の本心だったかどうか不明であり、所員による強要や一方的回答の可能性もある。また、拘置所や刑務所では往々にして外部と手紙などの連絡において検閲がされるため、西巻との手紙のやりとりの初期においては双方で手紙の内容や思いが改竄なしにダイレクトに伝わっていたかどうかも不明である。
- 最初の手紙から2か月後に、菅家利和から「無実」を訴える返事が来る[5]。西巻は後に「菅家さんを支える会・栃木」代表、菅家利和の身元引受人となる。
- 西巻も菅家利和と同じように幼稚園バスの運転手をしていた経験から、逮捕の報道を見て腑に落ちない思いがしたことが支援の動機である。
- 1993年(平成5年)7月7日
- 宇都宮地方裁判所(久保真人裁判長)は菅家利和に無期懲役の判決を出す。
- 1996年(平成8年)5月9日
- 東京高等裁判所(高木俊夫裁判長)が控訴棄却。
- 1997年(平成9年)10月28日
- 佐藤博史弁護士が押田鑑定書を添付して、DNA型鑑定の再鑑定の申し立てをする。しかし、最高裁はこれを拒否する。
- 2000年(平成12年)7月17日
- 最高裁判所(亀山継夫裁判長[6])が「DNA型鑑定の証拠能力を認める」初判断を示し、第一審の無期懲役判決が確定する。こうして、菅家利和は千葉刑務所に受刑者として服役するのである。
- ^ a b 現場検証 平成の事件簿. 株式会社 柏艪舎. (2019年3月8日). p. 18
- ^ a b 下野新聞、清水潔による事件の調査報道・キャンペーン記事等】
- ^ 宇都宮地裁平成5年7月7日判決/刑集54巻6号670頁・判例タイムズ820号177頁
- ^ 2008年1月6日 日本テレビ「ACTION」より
- ^ 「〈足利事件「支える会」代表が語る〉主婦の私がなぜ菅家さんの無実を信じ続けたのか」西巻糸子著(『婦人公論』2009年7月22日号)
- ^ 無罪確定後、テレビ局が取材したが、亀山は菅家に対し謝罪を拒否すると公言している。
- ^ “足利事件、再審決定”. 産経新聞. オリジナルの2009年6月26日時点におけるアーカイブ。 2009年6月23日閲覧。
- ^ “足利事件:再鑑定の結果「DNA不一致」…東京高裁に提出”. 毎日新聞. (2009年5月8日)[リンク切れ]
- ^ 第2章スタート ACTIONコラム(日本テレビ)2009年5月26日。その他、「北関東連続幼女誘拐・殺人事件」など。
- ^ a b “袴田さん再審判断 DNA鑑定の有効性争点”. 中日新聞. (2018年6月7日)
- ^ "足利事件、菅家さんを釈放 17年半ぶり、再審開始決定へ". 共同通信. 2009年6月4日. 2009年6月11日時点のオリジナルよりアーカイブ。2009年6月11日閲覧。
- ^ “「警察と検察に謝って欲しい」菅家さん、支援者への手紙で”. 読売新聞. (2009年6月4日). オリジナルの2009年6月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “【足利事件】「捜査は妥当だった」「思い出したくない」 栃木県警元幹部ら”. 産経新聞. (2009年6月6日). オリジナルの2009年6月6日時点におけるアーカイブ。
- ^ “「足利事件」捜査の元県警幹部ブログが炎上 「謝罪しろ」コメント殺到”. ITmediaニュース. (2009年6月5日)
- ^ “栃木県警、足利事件捜査での表彰を自主返納”. 日テレNEWS24[リンク切れ]
- ^ “菅家さんに『苦痛与えた』と謝罪 検察、足利事件で初”. 中日新聞. (2009年10月5日11時25分)[リンク切れ]
- ^ 検事正が謝罪、足利事件 - YouTube TBSNewsi 2009年10月5日[リンク切れ]
- ^ “足利事件再審:裁判長「菅家さん」 被告扱い封印”. 毎日新聞. オリジナルの2009年10月21日時点におけるアーカイブ。 2009年10月21日閲覧。
- ^ “足利事件:92年1月28日の地検聴取テープ(1)”. 毎日新聞. オリジナルの2010年1月25日時点におけるアーカイブ。 2010年1月22日閲覧。
- ^ “足利再審 元検事語る(1)”. 産経新聞. オリジナルの2010年1月25日時点におけるアーカイブ。 2010年1月23日閲覧。
- ^ “足利事件:検察側が無罪論告 菅家さんに謝罪”. 毎日新聞. (2010年2月12日11時29分(最終更新 2月12日21時33分)). オリジナルの2010年4月7日時点におけるアーカイブ。
- ^ “無罪でも終わらない 菅家さん故郷で語る”. 中日新聞. (2010年3月25日7時7分). オリジナルの2010年3月27日時点におけるアーカイブ。
- ^ “足利事件再審で菅家さんに無罪判決…宇都宮地裁”. 読売新聞. (2010年3月26日). オリジナルの2010年3月29日時点におけるアーカイブ。
- ^ “足利事件:菅家さん無罪 裁判長が謝罪 宇都宮地裁”. 毎日新聞. (2010年3月26日10時12分(最終更新 3月26日13時52分)). オリジナルの2010年3月28日時点におけるアーカイブ。
- ^ 下野新聞 2011年3月9日
- ^ 清水潔,文藝春秋2010年10月1日号
- ^ 2011年『g2』vol.7(講談社)掲載ルポ「真犯人のDNA」P199ー200
- ^ 参考記事 らせんの真実-冤罪・足利事件- <終章><1>「消息」 捜査中止の参考人複数 酷似する「ビデオの男」下野新聞】(外部リンク参照)
- ^ 清水潔,文藝春秋2011年1月1日号
- ^ テレビ東京・BSテレ東『0.1%の奇跡!逆転無罪ミステリー【実録…やってないのに】衝撃冤罪!4連発(テレビ東京、2019/6/10 19:00 OA)の番組情報ページ | テレビ東京・BSテレ東 7ch(公式)』 。2019年10月17日閲覧。
- ^ a b 文藝春秋2010年12月号 清水潔
- ^ 清水潔(文藝春秋2010年10月1日号
- ^ “<「足利事件」とDNA鑑定>佐藤博史弁護士に聞く”. あらたにす. (2009年5月9日). オリジナルの2009年5月9日時点におけるアーカイブ。全10頁
- ^ 「新・知ってはいけない!?」船瀬駿介 著
- ^ 【らせんの真実-冤罪・足利事件(下野新聞)】より
- ^ 文藝春秋2011年3月号 清水潔
- ^ 足利事件で無期懲役判決を受けた男性が冤罪だと訴えていた支援者らのホームページの「群馬・栃木県境の未解決幼女殺害・失踪事件地図」という項
- ^ 清水潔,2010年11月
- ^ 足利事件 真犯人は ('09.6.7)(youtube)[リンク切れ]
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