貴布禰神社 (尼崎市)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/04/11 01:25 UTC 版)
歴史
創建の由縁については、平安遷都の際に運搬船を仕立てた紀氏が紀船(きふね)社を祀った逸話や、丹生川上神社・貴船神社との関連等諸説ある[2]。
長洲貴布禰神社
東長洲字南畑(現:長洲中通三丁目8-28地図)に創建された貴布禰神社はその後も同地に鎮座し、東長洲の氏神として祀られている。社号については、近世には貴布禰大明神とも称した[2]他、西本町の同社と区別するため長洲貴布禰神社と称する場合もある。主祭神は高龗神(タカオカミノカミ)、毎年10月の体育の日前日に例祭が行なわれる。
分祀後
長洲からの分祀については、中世に行なわれたもの(尼崎惣社)と考えられる。創建の地は尼崎城の西三の丸(現:北城内)にあったが、同地に戸田氏鉄が尼崎城を改築するのに伴い元和年間に西屋敷役人町(現:西桜木町)に移転、さらに1715年(正徳5年)に宮町(現:西本町六丁目)の現在地へ移転した[1]。
年表
- 1825年(文政8年) - 社殿が竣工
- 1873年(明治6年) - 社格が郷社に格付けされる
- 1915年(大正4年) - 新城屋新田東島・西島の両稲荷神社、市庭町の市蛭子神社、竹谷新田の貴布禰神社を合祀
- 1920年(大正9年) - 県社に昇格 ※現存する尼崎市内の神社では唯一の社格
- 1945年(昭和20年) - 太平洋戦争の空襲により社殿が被災、1950年(昭和25年)に復興
- 1995年(平成7年) - 阪神・淡路大震災により被災(大鳥居の倒壊、南門の半壊等)、翌年に復興
祭神
漁業や水運をつかさどる水神として長洲の神社同様、高龗神が漁民・海民の信仰を集めた。また、近世には度々雨乞いの神事が行なわれるなど農業の上でも重要な信仰対象であり、歴代尼崎藩主の崇敬も厚かったと伝えられる[1]。
祭事
旧・尼崎町の惣社であった同社の夏祭には、各町から地車が繰り出し、城下全体が年間で一番のにぎわいを見せた。境内には芝居小屋があり、祭のとき以外にもさまざまな見せ物興行や宮相撲・浄瑠璃などが催され、城下庶民の娯楽の場であった[1]。現在も毎年8月1日・2日には地車の巡行が行なわれている。
- 1月1日:歳旦祭
- 1月10日:市庭戎神社大祭
- 4月26日:白波稲荷神社大祭
- 7月16日:夏越祭
- 8月1 - 2日:大祭(だんじり祭) ※1日は宵宮
- 9月24日:愛敬三社祭礼
- 12月31日:除夜祭
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