詩を書く少年
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/06/08 07:31 UTC 版)
あらすじ
15歳の少年は詩を書き、それはまったく楽に次から次へと、すらすらと出来た。少年の詩は先輩の間でも評判となり、彼も自分のことを天才だと確信していた。詩が生れ、世界が変貌するとき、少年は至福を感じた。
5年も先輩のRという文芸部委員長が、少年を贔屓し構ってくれ、少年もRを好きになった。Rは自分自身を不遇な天才だと考え、年齢の差に関係なく、少年をはっきり天才だと認めてくれたからだった。天才同士は友達になるべきだと少年は考えた。二人は毎日長い手紙のやりとりをし、文通の日課は楽しく、お互いの近作の批評、日々の挿話、美しいと思った少女の印象、見た夢の叙述などが交わされた。
Rの手紙には、憂鬱や不安、現実に対する危惧、苦さの翳があった。それは少年には縁のないように思われた。青春は少年にはまだ遠かった。自分の中に発見する醜さは忘れ、美しいものを作る人間が醜いなどということはありえないと、少年は考えた。何かの欠乏から詩が生れるなどとは深く意識せず、少年は詩の源泉を、天才という便利な一語で片付けていた。
少年の書く詩はだんだん恋愛の素材が増えたが、まだ恋をしたことはなかった。しかし彼は未経験を少しも嘆かず、「まだ体験しない世界の現実と彼の内的世界」との間に、対立も緊張関係もなかったし、或る不条理な確信によって、自分がこの世でいまだに体験していない感情は一つもないと考えることさえできた。しかし少年は、自分には「少年らしい粗雑な感激性」が欠けていることも、一方で認知していた。
ある日、授業が退けた後、文芸部の部室でRは少年に恋愛の悩みを打明けた。彼は若い人妻と愛し合い、父に気づかれ仲を割かれていた。少年は先輩から相談をされた嬉しい虚栄心から、精一杯まじめな慰めで、「きっといい詩ができるでしょう」と、ゲーテの例をとりながら言った。しかしRは、「君にはまだわからないんだよ」と言い、少年はその言葉に深く傷ついた。少年は、この人は天才じゃなかったんだと心の中で嘲った。Rの恋は本当の恋だったが、その告白は少年にとって何一つ未知な要素はなかった。すべてはすでに古典に書かれ、書かれた恋や詩になった恋の方が美しかった。
Rは、永々と恋人の美しさを語り、彼女がRの額を美しいと褒めたことを自慢した。少年はそのおでこを「美しい」とは全く思わなかった。その時、少年は目ざめ、「恋愛とか人生とかの認識にうちに必ず入ってくる滑稽な夾雑物」を見た。自分も似たような思い込みを抱き、人生を生きつつあるのかもしれない、「ひょっとすると、僕も生きているのかもしれない」と少年はぞっとし、「僕もいつか詩を書かないようになるかもしれない」と生れてはじめて思った。
- ^ a b c 「おくがき」(『詩を書く少年』角川小説新書、1956年6月)。29巻 2003, pp. 221–222に所収
- ^ a b c d 「あとがき」(『三島由紀夫短篇全集・5』講談社、1965年7月)。33巻 2003, pp. 411–414に所収
- ^ a b c d e f g h i j k l m n o p q 佐藤秀明「〈現実が許容しない詩〉と三島由紀夫の小説」(論集II 2001, pp. 1–22)
- ^ a b c 「『詩を書く少年』のころ」(坊城 1971)
- ^ a b c 田中美代子「詩を書く少年」(事典 2000, pp. 185–187)
- ^ 井上隆史「作品目録――昭和29年」(42巻 2005, pp. 403–406)
- ^ a b c 田中美代子「解題――詩を書く少年」(19巻 & 2002-06, pp. 788–790)
- ^ a b 山中剛史「著書目録――目次」(42巻 2005, pp. 540–561)
- ^ 高橋重臣「詩を書く少年」(旧事典 1976, p. 177)
- ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
- ^ 「坊城俊民宛ての書簡」(昭和45年11月19日付)。38巻 2004, pp. 875–876
- ^ a b c 「解説」(『花ざかりの森・憂国――自選短編集』新潮文庫、1968年9月)。花・憂国 1992, pp. 281–286、35巻 2003, pp. 172–176に所収
- ^ a b 野島秀勝「『拒まれた者』の美学―三島由紀夫論」(群像 1959年2月号)。野島秀勝『「日本回帰」のドン・キホーテたち』(冬樹社、1971年)に所収。論集II 2001, p. 5
- ^ 神西清「ナルシシスムの運命」(文學界 1952年3月号)。群像18 1990に所収。論集II 2001, p. 5
- ^ a b 高橋和幸「三島由紀夫の初期世界の考察―小説家の誕生と中世」(私学研修 第151・152合併号、1999年2月)。論集II 2001, p. 6
- ^ 『小説家の休暇』(講談社、1955年11月)。28巻 2003, pp. 553–656に所収
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