西林寺 (松山市) 概要

西林寺 (松山市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/03/03 01:33 UTC 版)

概要

伊予の関所寺(別の寺が関所寺という説もあり)で、境内は周りより一段低い場所にあり、邪悪な者が踏み入れると無間地獄に落ちると考えられている。[1]

寺伝によれば、現在地より北東約3 kmの小野播磨塚の辺りの「徳威の里」に、聖武天皇勅願を受け、天平13年(741年)に行基伊予国国司越智宿禰玉純と共に一宮別当として堂宇を建立、本尊の十一面観世音菩薩を刻んで開基したという。大同2年(807年)に空海(弘法大師)が巡錫の折、今の場所に寺を移されたと云われていて、日照りに苦しむ里人のため、奥の院になっている杖の渕の清水を湧出させたとも云われている。

17世紀末に火災で焼失したが、元禄13年(1700年松平定直らによって一部再建、その後宝永4年(1707年)には中興の祖の覚栄法印が村民の雨乞い祈願を成就して松山藩に帰依され本堂と鐘楼堂が再興、さらに文化10年(1813年)に大師堂、天保14年(1843年)に仁王門が再建された。

境内

  • 山門(仁王門):入母屋造楼門
  • 本堂:『本尊の力が強すぎるため後ろ向きに安置されている』と云われ裏からお参りする人もいたが現在は否定されており、『本尊の力が強すぎるため後ろからお参りしてもご利益がある』と云われた説が転じて前述の説になったと伝えられている。本尊は秘仏で、前立仏と脇仏の不動明王立像・毘沙門天立像は拝顔できる。
  • 大師堂:現在は平成20年(2008年)に再建している[2]。大師像と両脇の興教行大師専誉僧正は拝顔できる。
  • 阿弥陀堂:本堂左にあった同堂と閻魔堂は取り壊され閻魔堂の跡に新しい阿弥陀堂が2018年新春開闢された。阿弥陀如来坐像像は修復され中央に鎮座し、閻魔像は向かって左に鎮座している。
  • 遍照殿
  • 孝行竹(親子竹):親竹と子竹が離れないで生えていて、家庭円満の象徴。
  • 弁財天池:小さい池ながら蓮の花が咲く。
  • 鐘楼
  • 福授地蔵菩薩:本坊の納経所の前にあり。一つだけ願いを叶えてくれるという。
  • 句碑:正岡子規「秋風や高井のていれぎ三津の鯉」が仁王門の向かって左前にあり、岡田包「炎天を来しお遍路尓塩乞磐連」が大師堂の右方にある。

山門を入ると左に鐘楼、その奥に庫裏・納経所が右に手水場、茶堂がある。正面奥に本堂が建ち、その左に阿弥陀堂がある。本堂右に大師堂が、その右に閻魔堂がある。

  • 宿坊:なし
  • 駐車場:20台、大型2台。無料。

寺宝

  • 四國徧禮絵図:宝暦13年(1763年)刊行、最古の四国遍路絵図

  1. ^ 川崎一洋『四国「弘法大師の霊跡」巡り』セルバ出版、2012年12月18日、188頁。ISBN 9784863670792 
  2. ^ 第48番札所 清滝山 安養院 西林寺(四国八十八ヶ所霊場会公式)


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