菟道稚郎子 菟道稚郎子の概要

菟道稚郎子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2015/08/18 16:14 UTC 版)

莵道稚郎子
莵道稚郎子.jpg
莵道稚郎子(『前賢故実』より)
続柄 第15代応神天皇皇子
身位 皇太子
出生 不詳
死去 壬申
菟道宮
埋葬 壬申年?
治定:宇治墓(丸山古墳、京都府宇治市
配偶者 (記載なし)
子女 (記載なし)
父親 応神天皇
母親 宮主宅媛
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第15代応神天皇皇子(『日本書紀』では皇太子)で、第16代仁徳天皇は異母兄にあたる。

概要

菟道稚郎子は、名前の「菟道」が山城国宇治(現・京都府宇治市)の古代表記とされるように、宇治地域と関連が深い人物である。郎子は宇治に「菟道宮(うじのみや)」を営んだといい、郎子の墓も宇治に伝えられている。

郎子については『古事記』『日本書紀』等の多くの史書に記載がある。中でも、父応神天皇の寵愛を受けて皇太子に立てられたものの、異母兄の大鷦鷯尊(おおさざきのみこと:仁徳天皇)に皇位を譲るべく自殺したという美談が知られる。ただし、これは『日本書紀』にのみ記載された説話で、『古事記』では単に夭折と記されている。

『古事記』『日本書紀』の郎子に関する記載には多くの特異性が指摘されるほか、『播磨国風土記』には郎子を指すとされる「宇治天皇」という表現が見られる。これらの解釈を巡って、「天皇即位説」や「仁徳天皇による郎子謀殺説」に代表される数々の説が提唱されている人物である。

名称

表記は次のように文書によって異なる。本項では「莵道稚郎子」に統一して解説する。

これらのほか、『播磨国風土記』に見える「宇治天皇[原 9]も菟道稚郎子を指した表記と指摘される[1]

「ウジ」について

名前の「ウジ・ウヂ(莵道/宇遅)」は、京都府南部の地名「宇治」と関係する。「宇治」の地名は古くは「宇遅」「莵道」「兎道」などとも表記されたが、平安時代に「宇治」に定着したとされている[2]。『古事記』では母・宮主矢河枝比売が木幡村(現・京都府宇治市木幡)に住まっていた旨が記され、郎子と当地との関係の深さが示唆される。なお現在も「菟道」という地名が宇治市内に残っているが、読みは「とどう」である。

地名「宇治」について、『山城国風土記』逸文では、菟道稚郎子の宮が営まれたことが地名の由来としている。しかしながら、『日本書紀』垂仁天皇紀・仲哀天皇紀・神功皇后紀にはすでに「菟道河(宇治川)」の記載があることからこれは誤りと見られ[3]、むしろ菟道稚郎子の側が地名を冠したものと見られている[3]。現在では、北・東・南を山で囲まれて西には巨椋池が広がるという地理的な奥まりを示す「内(うち)」や、宇治を中心とした地方権力によるという政治的な意味での「内」が、「宇治」の由来と考えられている[4][5]。実際、宇治はヤマト王権の最北端という影響の受けにくい位置にあることに加え、菟道稚郎子の説話や「宇治天皇」という表現からも、宇治に1つの政治権力があったものと推測されている[3]。なお、文字通り「兎(ウサギ)の群れが通って道になった」ことを「莵道」の由来とする南方熊楠による説もある[6]

「イラツコ」について

「イラツコ(郎子)」は、名前に付される敬称である。史書に「郎女(いらつめ/いらつひめ)」は頻出するが(『古事記』で43名[7])、「郎子」が使われたのは『古事記』では莵道稚郎子含め4名のみで[7][注 2]、一般に使われる「命(みこと)」や「王(おう/みこ/おおきみ)」のいずれでもない特異性が指摘される[7][注 3]。「郎子」の用法の性格には、愛称とする説と「郎女」の対とする説がある[7]。「郎女」の多くが皇女に用いられていることから「郎子」も皇子を指したものという見方が強いが、菟道稚郎子以外の3名はいずれも「王」とも表記されており、皇位継承者に付される「命」ではなく「王」に近い用法と考えられている[7]

なお、「郎子」の前の「ワキ」は「若(わか)」の転訛とされる[7]

系譜

古事記・日本書紀

(名称は『日本書紀』初出を第一とし、括弧内に『古事記』ほかを記載)

『古事記』『日本書紀』によれば、応神天皇和珥氏(丸邇氏)祖の日触使主(ひふれのおみ、比布礼能意富美)の女 の宮主宅媛(みやぬしやかひめ、宮主矢河枝比売)との間に生まれた皇子である[原 10]。同母妹には矢田皇女(やたのひめみこ、八田皇女/八田若郎女:仁徳天皇皇后)、雌鳥皇女(めとりのひめみこ、女鳥王)がいる。

応神天皇と仲姫命(なかつひめのみこと、中日売命)との間に生まれた大鷦鷯尊(おおさざきのみこと、大雀命:仁徳天皇)は異母兄にあたる。また関連する名前の人物として、宮主宅媛の妹の小甂媛(おなべひめ、袁那弁郎女)から生まれた菟道稚郎女皇女(うじのわきいらつひめのひめみこ、宇遅能若郎女)がいる。

なお、菟道稚郎子の妻子に関して史書に記載はない。

 


先代旧事本紀

先代旧事本紀』では、饒速日命物部氏祖)九世孫の物部多遅麻連(もののべのたじまのむらじ)の女の山無媛連(やまなしひめのむらじ)を母とする[原 7]。また『古事記』『日本書紀』同様、山無媛連は矢田皇女と雌鳥皇女の母でもあるとしている[原 7]

この記載と関連して、後述のように、菟道稚郎子の御名代との関係がうかがわれる宇治部氏や宇治氏は、物部氏一族とされている。これらが物部氏を称したのは『先代旧事本紀』の伝えるように菟道稚郎子の外戚が物部氏であったことに基づくと推察して、母を和珥氏とする『古事記』『日本書紀』の記述は誤りの可能性があるという指摘もある[8]


  1. ^ 壬申年は応神天皇41年(崩御時)の2年後で、仁徳天皇元年(即位時)の前年にあたる(いずれも『日本書紀』による)。
  2. ^ 他の3名は、応神天皇孫の大郎子(意富富杼王)、仁徳天皇皇子の波多毘能大郎子(大日下王・大草香皇子)、継体天皇皇子の大郎子(大郎皇子)。
  3. ^ ただし現在、宇治神社等においては郎子・命を重ね「菟道稚郎子命」という表記も見られる。
  4. ^ 宮阯は、宇治上神社(平) 1981年で宇治上神社、宇治(国史) 1982年で宇治神社とする。
  5. ^ 出生以前から記す扱い、天下を譲られたという表現、「百官」「崩」という表現が指摘される (金澤 2007年)。
  6. ^ 『続日本紀』養老7年(723年)2月13日条、『続日本紀』天応元年(781年)正月15日条には、いずれも常陸国那賀郡大領として「宇治部直荒山」「宇治部全成」の名が見える。また、茨城県水戸市大井神社は郡領の宇治部氏の奉斎と伝えている(大井神社<茨城県神社庁>)。
  1. ^ a b c 『古事記』応神天皇記。
  2. ^ 『日本書紀』応神天皇紀。
  3. ^ a b 『山城国風土記』逸文「宇治」(『詞林采葉抄』所収)。 - 武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)139コマ参照。
  4. ^ a b c 『日本後紀』弘仁6年6月27条。
  5. ^ a b 『類聚国史』所収『日本後紀』逸文「渤海使」(天長3年3月1日条)。 - 『国史大系 類聚国史』(経済雑誌社、1913年、国立国会図書館デジタルコレクション)663コマ参照。
  6. ^ a b c 『続日本後紀』承和7年5月6日条。
  7. ^ a b c d e f 『先代旧事本紀』「天孫本紀」。 - 『国史大系 第7巻』(経済雑誌社、1897年-1901年、国立国会図書館デジタルコレクション)152コマ参照。
  8. ^ a b c 『延喜式』諸陵寮 宇治墓条。 - 『延喜式 第4』(日本古典全集刊行会、昭和4年、国立国会図書館デジタルコレクション)90コマ参照。
  9. ^ a b 『播磨国風土記』揖保郡大家里条。 - 武田祐吉編『風土記』(岩波書店、1937年、国立国会図書館デジタルコレクション)102コマ参照。
  10. ^ 『古事記』応神天皇記、『日本書紀』応神天皇2年3月条。
  11. ^ 『日本書紀』応神天皇15年8月条、応神天皇16年3月条。
  12. ^ 『日本書紀』応神天皇28年9月条。
  13. ^ 『日本書紀』応神天皇40年1月条。
  14. ^ 『日本書紀』仁徳天皇即位前条。
  15. ^ 『万葉集』巻9 1795番。 - 09/1795(万葉集検索システム<山口大学>)参照。「柿本朝臣人麻呂之歌集出」は1796番において、1795番1首と1796番4首の「右五首」に対する左注として記載のもの。
  16. ^ 『万葉集』巻1 7番。 - 01/0007(万葉集検索システム<山口大学>)。
  17. ^ 『新撰姓氏録』河内国 神別 宇治部連条、和泉国 神別 宇遅部連条。
  1. ^ a b 菟道稚郎子皇子(国史) 1982年.
  2. ^ 井上満郎「宇治」(『日本古代史大辞典』大和書房、2006年)。
  3. ^ a b c 宇治(角) 1982年.
  4. ^ 『宇治市史 1』(宇治市役所、1973年)pp. 204-205。
  5. ^ 宇治市(平) 1981年.
  6. ^ 南方熊楠「兎に関する民俗と伝説」(『十二支考』岩波文庫、1994年、青空文庫より(大正四年一月、『太陽』21巻1号))。
  7. ^ a b c d e f g h i j 金澤 2007年.
  8. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)「宇治部」 11 宇治部連項。
  9. ^ 訓読・仮名の解釈は、小島憲之ほか校注・訳『日本書紀 2』(小学館、1996年)による。
  10. ^ 訓読・仮名の解釈は、倉野憲司校注『古事記』(岩波文庫、1963年)による。
  11. ^ 小島憲之ほか校注・訳『萬葉集 三』(小学館、1978年)pp. 433-434。
  12. ^ 宇治神社(平) 1981年.
  13. ^ 小島憲之ほか校注・訳『萬葉集 一』(小学館、1978年)p. 68。
  14. ^ 宮内省諸陵寮編『陵墓要覧』(1934年、国立国会図書館デジタルコレクション)10コマ。
  15. ^ a b c d e f 宇治墓(国史) 1982年.
  16. ^ 宇治墓(平) 1981年.
  17. ^ 莵道稚郎子伝説(【2007年1月19日掲載】 京都新聞)。
  18. ^ 『日本後紀 中 全現代語訳』(講談社学術文庫、2006年)p. 372。
  19. ^ a b 喜田貞吉「火葬と大蔵 -焼屍・洗骨・散骨の風俗-」初出:「民族と歴史 第三巻第七号」1919(大正8)年6月(『先住民と差別 -喜田貞吉歴史民俗学傑作選-』河出書房新社、2008年、青空文庫より)。
  20. ^ 中山太郎『本朝変態葬礼史』初出:「犯罪科学 増刊号 異状風俗資料研究号」1931(昭和6)年7月(河出書房新社、2007年、青空文庫より)。
  21. ^ 『続日本後紀 上 全現代語訳』(講談社学術文庫、2010年)p. 348。
  22. ^ 『宇治市史 1』(宇治市役所、1973年)p. 210。
  23. ^ 神田秀夫による説 (金澤 2007年より)。
  24. ^ 三浦佑之『口語訳 古事記 完全版』」(文藝春秋、2002年) p. 248 注(40)。
  25. ^ 吉井巌による説(金澤 2007年より)。
  26. ^ 金澤和美「ウヂノワキイラツコと「古代」」の博士論文要旨 (昭和女子大、2009年)。
  27. ^ 菟道稚郎子(古代氏族) 2010年.
  28. ^ 太田亮『姓氏家系大辞典』(角川書店、1963年)「宇治部」 1 山城の宇治部項。
  29. ^ 古田武彦講演録1 播磨風土記(市民の古代研究会編、市民の古代第12集、1990年)。
  30. ^ a b c d 宇治部氏(古代氏族) 2010年.
  31. ^ 国史大辞典』(1980年)名代・子代項の「御名代部名一覧(ほぼ確かなものに限る)」表に記載がないことに基づく。
  32. ^ 宇治氏(古代氏族) 2010年.


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