菊地直子
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裁判
一審
2012年8月6日に東京都庁小包爆弾事件における殺人未遂罪と爆発物取締罰則違反の各幇助罪で起訴された。裁判員裁判の初公判が2014年5月8日に東京地方裁判所(杉山愼治裁判長)で行われた。
同年6月30日の判決公判で同裁判所は「劇物などと記された薬品を運んでおり、薬品で危険な化合物が作られることを容易に想像できた」「(教団施設への強制捜査などから)教団が追い詰められている状況にあり、教団が人の殺傷を含む活動をしようとしていると認識していた」として殺人未遂幇助罪の成立は認めたものの、「爆発物がつくられるとまでの認識はなかった」として爆発物取締罰則違反幇助罪の成立を認めず、懲役5年(求刑懲役7年)の判決を言い渡した[19][20]。即日、判決を不服として東京高等裁判所に控訴した[21]。
控訴審
2015年(平成27年)5月13日に控訴審がはじまり、改めて無罪を主張[22]。11月27日、東京高等裁判所(大島隆明裁判長)から無罪判決を受け、東京拘置所から釈放された[23][24][25]。
この無罪判決については、「不合理ではないか」「いや、極めて真っ当だ」と、メディアの評価は分かれた[26]。裁判員裁判の存在意義にまで議論が及んだ[27]ほか、産経新聞だけは無罪判決が出た後もなお、元捜査機関職員の言葉を引用し「菊地元信者は教祖の側近中の側近で、女性信者の頂点にいたとされる」という誤った記事を掲載した[28]。
二審判決は以下のような認定の上、無罪判決を下している。
- 一審判決の判断は、経験則、論理則に反する不合理な点が少なからず見受けられる。
- 菊地が運んだ薬品が毒劇物に指定されており、取り扱いに注意を要するという意味で危険なものであったとしても、直ちにテロリズムの手段として用いる毒ガスや爆発物を製造することを思い起こすことは困難であり、一審判決がその薬品の危険性の意味を明らかにしないまま菊地にはテロの未必的認識があったとまで認定している点は問題がある。
- 菊地は自らが運搬した薬品にRDXという爆薬の原料が含まれていることを認識せず、また、薬品を持ち込んだ居室内で爆薬が作られていることの認識も認められないとして爆発物取締罰則違反幇助罪は成立しないとしているのであるから、「どのような殺害行為に出るのかほとんど想起できないのではないかとも考えられ、そうであるのに本犯者の殺害行為を幇助する意思があったとするには、原則的にはより説得的な論拠が必要であろう」。
- 一審判決の根拠となった井上嘉浩の証言は合理性を欠く。
- 他の多くの証人が当時の記憶が曖昧になっていてなかなか具体的な事実を思い出すのに苦労をしている中で、「不自然に詳細かつ具体的である」。この事件は、「井上の関与した一連の重大犯罪の中では比重が大きくはなく」、「手伝いをしていた者に対してねぎらいの言葉をかけたとか励ましたとか、それに対する相手の応答ぶりなどという事実は、自身にとって重要性を持つような事象ではなく、このような長い年月を経ても記憶が褪せないエピソードであるとは考え難く、むしろ記憶に残っていることは不自然であるとすらいえる。このような証言については、他にこれを裏付けるような証拠があるか否かなどを検討し、その信用性を慎重に判断する必要がある」。
- 二審での事実取り調べによれば、井上らは、他に重要な役割を担って住居に出入りや居住していた信者らに対しても活動の内容や目的を秘匿していたと認められるところ、菊地はクシティガルバ棟での土谷の助手であって井上の部下などではなく、教団におけるステージとしても一般信者の2つ上である師補という立場にあったに過ぎないのであって、この菊地に対し井上が殊更にペンスリットを見せてねぎらったというのは「不自然といわざるを得ない」。
- 一審判決は、井上の、「林泰男から手伝いの信者について逮捕される覚悟があるかどうか了解を取るように求められ、自分が女性信者2名の了解を、中川が菊地の了解をそれぞれ得ることになり、自分は、教祖を守るための活動をすることや一緒にいれば逮捕される可能性があることなどを説明し了承してもらった」という旨の証言を信用できるとしたが、上に述べたように、井上らは、菊地以外の住居に出入りしていた女性信者2名に対して活動内容や目的を秘匿しており、「井上証言は信用できない」というべきである。
- 長期間逃亡をもって殺人未遂幇助の意思を認定できない。
- さらに、二審判決は、菊地の長期間にわたる逃亡について、菊地は地下鉄サリン事件等の重大犯罪で指名手配を受け、爆発物の原料となる薬品を運搬していた事実がある上、「事情を知らずに関与した」と菊地が思っていた教団信者が有罪判決を受けたことも認識していたのであるから、処罰を恐れて長期間逃亡していた事実を持って殺人未遂幇助の意思を認定することもできないというべきである、とした[29]。
2015年(平成27年)12月9日、東京高等検察庁は「井上死刑囚の証言が信用できないとする根拠が十分に具体的とは言えず、裁判員裁判の判決を尊重すべきだとした最高裁の判例に反する」などとして上告した[30][31][32][33][34][35]。
江川紹子は、「いつ、どこで、何をした」という「基本情報が全く報じられなかった」報道の在り方と捜査のずさんさ、菊地が捜査員に語ったプライバシーに関わる事柄が、マスメディアに筒抜けになったことで、菊地が捜査に不信感を抱き、多くを語らなくなった事実を、厳しく批判している[36]。
その後、2017年(平成29年)12月27日に、最高裁判所第一小法廷(池上政幸裁判長)で最高検察庁の上告が棄却され、無罪が確定判決となった[1][2]。
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- ^ これは当初一緒に逃亡した林泰男に付けられた「歩く殺人マシン」に掛けられている。
- ^ 岩井軽・大泉実成・宅八郎『私が愛した「走る爆弾娘。」菊地直子へのラブレター』(コアマガジン ISBN 978-4877340995)
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- ^ 菊地直子 (2018年4月13日). “上祐史浩さんのSPA!インタビュー記事について”. 闇が深ければ深いほど星はたくさん見えるから. 2020年7月17日閲覧。
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