荒野より (小説)
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独楽
独楽 | |
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作者 | 三島由紀夫 |
国 | 日本 |
言語 | 日本語 |
ジャンル | 随筆、短編小説 |
発表形態 | 雑誌掲載 |
初出情報 | |
初出 | 『辺境』1970年9月号 |
出版元 | 影書房 |
刊本情報 | |
収録 | 評論集『蘭陵王―三島由紀夫 1967.1 - 1970.11』 |
出版元 | 新潮社 |
出版年月日 | 1971年5月6日 |
装幀 | 増田幸右 |
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『荒野より』との類似性を指摘されている『独楽』は、随筆として全集に収められているが、短編小説として論じる研究家もあり、もしもこれを小説と見なすならば、『蘭陵王』に次ぐ、三島の最後の短編小説となる[1]。
初出は1970年(昭和45年)、雑誌『辺境』9月号に掲載された作品で[24]、三島の死後の1971年(昭和46年)5月6日に新潮社より刊行の『蘭陵王――三島由紀夫 1967.1~1970.11』に収録された[25]。
内容
ある春の午後、「私」に会いたいと言う男子高校生が3時間も塀の外にいると家政婦から告げられ、「私」はまた狂人の類だと思い、紹介状を持たない人間には会わないと断るが、その高校生は礼儀正しい普通の学生らしいので、外出間際の「私」は、5分間だけという条件でその「少年」と面会した。
頬を赤らめている「少年」には全く不審なところはなく、学生服もきちんと着ていた。時間がないので、一番聞きたい質問を一つだけしてごらん、と「私」が言うと、澄んだ目の「少年」は「先生はいつ死ぬんですか」と「私」を直視した。
「私」はその質問に、「滑稽なしどろもどろな返答」をし、後は呑気な雑談を交わして、「少年」は帰って行った。「私」は外出の用事を済ませ、その日はいつものように過ぎていった。しかし、「少年」の言葉は「私」に刺さったまま、やがて傷口が化膿した。
「私」は自分自身の経験から、少年期というものを知っている。少年は独楽なのだ。独楽が回転して澄んでいる時、独楽には「不気味な能力」が備わり、「全能」でありながら、自身の姿は完全に隠れてしまっている。それは「透明な兇器」に似て、しかも独楽自身はそれに気づかず、軽やかに歌っているのだ。自身が消えていることに気づいていないだけでなく、「何かが自分と入れかわったこと」にも気がつかない。
「先生はいつ死ぬんですか」と質問した時、そこに「少年」は存在していたが、独楽は澄んでいたから、「少年」はそこにいなかった。「少年」は次の瞬間、自分がした質問を覚えていなかったかもしれない。
作品背景
『独楽』に登場する少年は、実際に三島邸を訪れており、三島はそのことをドナルド・キーンに語っている[26]。徳岡孝夫も、キーンからその少年の話を三島の直話として聞いたとし[27]、「こういうことでキーン氏に嘘をついたり事実を誇張したりする三島さんでないことは、キーン氏も私も知っている」と述べている[27]。
また、「楯の会」の入会希望者だった「幻の六期生」・須賀清の友人の国学院生が、三島宅を1970年(昭和45年)に訪問し、「先生はいつ死ぬんですか」と質問をしていたというエピソードが「楯の会」会員の証言集に綴られている[28]。この友人は三島と会い、緊張で頭の中が真っ白になり、その質問をしてしまい[28]、その時に三島は「わっはっは」と哄笑し、「まあ、お茶でも飲め」とすすめ、彼は紅茶をご馳走になったという[28][注釈 3]。
この当時の三島は、全共闘や数々の大学で討論会などに出かけていたが、その中で、三島がある学生から、この「ヘルメース」のような少年と同じ質問を受けていたと田中美代子は語っている[29]。
注釈
出典
- ^ a b c d e f g h i j k l m 青海健「異界からの呼び声――三島由紀夫晩年の心境小説」(愛知女子短期大学 国語国文 1997年3月号)。(青海・帰還 2000, pp. 58–83)。
- ^ a b c 山内洋「荒野より【研究】」(事典 2000, pp. 135–137)
- ^ a b 佐渡谷重信「荒野より」(旧事典 1976, p. 152)
- ^ a b c d e f 清水昶「日常の中の荒野――『真夏の死』、『孔雀』、『荒野より』、『独楽』」(清水昶 1986, pp. 60–75)
- ^ 田中美代子「解題――荒野より」(20巻 2002, p. 806)
- ^ 井上隆史編「作品目録――昭和41年」(42巻 2005, pp. 440–444)
- ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 597)
- ^ “[https://www.chuko.co.jp/bunko/2016/06/206265.html 荒野より 新装版]”. 中央公論社 (2016年6月23日). 2022年12月11日閲覧。
- ^ 久保田裕子「三島由紀夫翻訳書目」(事典 2000, pp. 695–729)
- ^ 佐藤秀明・井上隆史編「年譜 昭和41年6月下旬」(42巻 2005, p. 282)
- ^ a b c 三島由紀夫「荒野より」(群像 1966年10月号)。『荒野より』(中央公論社、1967年3月)、荒野・中公 1975, pp. 10–28、群像18 1990, pp. 367–378、20巻 2002, pp. 517–537に所収
- ^ a b c d e f g h i 奥野健男「『英霊の声』の呪詛と『荒野より』の冷静」(奥野 2000, pp. 391–420)
- ^ a b c d 平岡梓「倅・三島由紀夫」(諸君! 1971年12月号-1972年4月号)。「第三章」(梓 1996, pp. 48–102)。
- ^ 江藤淳「文芸時評」(朝日新聞夕刊 1966年9月27日号)。江藤 1989, pp. 373–377に所収。事典 2000, p. 135に抜粋掲載。
- ^ a b c 山本健吉「文芸時評」(読売新聞 1966年9月27日号)。山本 1969, pp. 426–427に所収
- ^ 三島由紀夫「危険な芸術家」(文學界 1966年2月号)。荒野・中公 1975, pp. 124–126、美学講座 2000, pp. 54–56、33巻 2003, pp. 632–634に所収
- ^ a b c 磯田光一「文化主義に背くもの――『荒野より』について」(図書新聞 1967年4月1日号)。「三島由紀夫と現代 文化主義に背くもの――『荒野より』について」(磯田 1979, pp. 137–140)
- ^ a b c d e 佐伯彰一「《評伝・三島由紀夫》――二つの遺作」(『三島由紀夫全集』3巻-4巻、6巻、10巻、13巻、17巻-19巻月報付録)(新潮社、1973年-1974年)。「第二部 追想のなかの三島由紀夫――(一)二つの遺作」(佐伯 1988, pp. 77–126)に所収
- ^ a b c 村松剛「解説」(荒野・中公 1975, pp. 313–319)。「I 三島由紀夫――その死をめぐって 『荒野より』」(村松・西欧 1994, pp. 30–37)に所収
- ^ a b c d e 中上健次「三島由紀夫の短編」(群像18 1990, pp. 306–308)
- ^ a b c d e f g h 佐藤秀明「序章 三島由紀夫の『荒野』」(佐藤 2006, pp. 9–19)
- ^ 澁澤龍彦「絶対を垣間見んとして……」(新潮 1971年2月号)。澁澤 1986, pp. 75–85に所収
- ^ 大野晋『日本語練習帳』(岩波新書、1999年1月)
- ^ 井上隆史編「作品目録――昭和45年」(42巻 2005, pp. 456–460)
- ^ 山中剛史編「著書目録」(42巻 2005, p. 615-616)
- ^ 三島由紀夫「ドナルド・キーン宛ての書簡」(昭和45年2月27日付)。ドナルド書簡 2001, pp. 190–192、38巻 2004, pp. 447–449に所収
- ^ a b 徳岡孝夫「第八章 いつ死ぬ覚悟を?」(徳岡 1999, pp. 209–210)
- ^ a b c d 鈴木亜繪美「第一章 曙(五)『楯の会』百人の兵隊――五期生 須賀清の証言」(火群 2005, p. 69)
- ^ 田中美代子「解説――まだ文学が神聖だった頃」(遍歴エッセイ 1995, pp. 275–282)
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