浄妙寺 (有田市) 浄妙寺 (有田市)の概要

浄妙寺 (有田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/11/28 14:18 UTC 版)

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浄妙寺

多宝塔(国の重要文化財)

薬師堂(本堂、国の重要文化財)
所在地 和歌山県有田市宮崎町1000
位置 北緯34度4分34.5秒
東経135度6分52.7秒
座標: 北緯34度4分34.5秒 東経135度6分52.7秒
山号 醫王山
宗旨 臨済宗
宗派 臨済宗妙心寺派
本尊 薬師如来
創建年 大同元年(806年
開基 如宝藤原乙牟漏(発願)
中興年 正保4年(1647年
中興 徳川頼宣
文化財 本堂、多宝塔、木造薬師如来及び両脇侍像、木造十二神将立像、蓮華唐草文螺鈿須弥壇(重要文化財)
法人番号 3170005002749
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歴史

寺伝では大同元年(806年)、平城天皇の母藤原乙牟漏の発願により、鑑真の弟子の僧・如宝が創建したとされる[1]。なお、乙牟漏は延暦9年(790年)に没しており、寺伝の通りとしても、創建までには相当の年数を要したことになる。

天正13年(1585年豊臣秀吉の兵火を受け、山中にあった薬師堂(現在の本堂)と多宝塔を残して全ての堂宇を焼失した。以後長らく荒廃していたものを正保4年(1647年)に紀州藩初代藩主徳川頼宣が再興した[2]

文化財

重要文化財(国指定)

  • 本堂(薬師堂) - 桁行三間、梁間三間、一重、寄棟造、向拝一間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年明治37年)8月29日重要文化財指定[3]
  • 多宝塔 - 三間、本瓦葺。鎌倉時代の創建で江戸時代に改造。1904年(明治37年)8月29日重要文化財指定[4]
  • 木造薬師如来及び両脇侍像 - 鎌倉時代
  • 木造十二神将立像(12躯) - 鎌倉時代。12躯のうち6躯は1994年11月18日に盗難に遭っている[5]
  • 蓮華唐草文螺鈿須弥壇

和歌山県指定文化財

  • 多宝塔内壁画(八相成道図、真言八祖像)

その他

  • 方丈 - 江戸時代初期

交通アクセス

脚注

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参考文献

  • 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、平凡社、1983

関連項目


  1. ^ 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、p.514
  2. ^ 『日本歴史地名大系 和歌山県の地名』、p.514
  3. ^ 文化遺産データベース 浄妙寺本堂(2016年9月24日閲覧)
  4. ^ 文化遺産データベース 浄妙寺多宝塔(2016年9月24日閲覧)
  5. ^ 和歌山県立博物館(2012年11月18日閲覧)


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