武田豊樹 主な獲得タイトルと記録

武田豊樹

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 17:36 UTC 版)

主な獲得タイトルと記録

競走スタイル

かつては特筆されるほど群を抜く豊富なスタミナとトップスピードを誇り、先行した時のバテない力強さを生かして競輪界のトップクラスに上り詰めたが、自転車競技経験の短さからか自らラインの先頭に立つ時の作戦立てには弱い面があった。しかし近年、捲りが主体になってからは中団確保など位置取りの技術に優れ、番手を追走してからの差し脚もきわめて信頼できるもので、車間開けや牽制もこなす他、本格的な追込選手のように内を掬ってインを強襲することもあるほど戦術が豊富になっている。また本人談話で多く見られる「負けパターンを意識した競争」を徹底しており、横の牽制にも強いため大崩れがほとんどないのも特徴といえ、神山雄一郎など同地区の選手から全幅の信頼を置かれている。

エピソード

  • デビュー前からの実績などが認められたことにより、2006年から1年間ほど競輪のテレビCMに メインの選手として出演していた。
  • デビュー後一時期までスピードスケートとの両立も考えていたようだが、競輪選手として専念するようになった。
  • 同じ元スピードスケート選手であったことから、2007年にデビューした牛山貴広2008年にデビューした今井裕介に対し、師匠として指導を行っている。
  • 特に牛山に対しては厳しいダメ出しをしており、牛山の初完全優勝時には「これでは上にいけない」と叱責した。また、牛山念願の師匠同乗レースが2011年7月の松山サマーフェスティバルで実現し、牛山の番手を回った武田は1着になったものの、「あんな先行をされては困る」と厳しく叱責した。
  • 競輪選手としてS級昇格後の初レース(2004年01月19日西武園競輪場第9競走)では、1着9番、2着8番、3着7番・・・・・9着1番と、着順が外枠から順番になるという珍しい結果であった。
  • KEIRINグランプリ2011で2着に入線した直後、ホームの観客席側から2人が金網を乗り越えてバンク内に乱入し、武田のそばに近寄よろうとして追いかけたものの、係員に取り押さえられるハプニングがあり、武田は身の危険を感じたとして競輪場側の管理体制を非難し、直後に行われた表彰式への出席を拒否した。なお、その後自らブログで、残念なことではあったが相手が2人とも未成年だったことに気づかず対応を過り軽率な発言をしてしまった[18][19]と述べている。
  • 2013年7月25日の高知記念競輪(GIII)初日第11Rの特選競走において、打鐘の時点で先頭にいた中村一将の後ろに位置した際、並走していた根田空史への牽制を行うため中村から後ろへ離れていき、さらに中村がスパートした時点で反応が遅れ単騎で逃げる中村から大きく離されてしまった。結局、武田を含む7名[20]は中村の逃げ切りを許した上に大差で入線してしまったことにより、過度のけん制による追走義務違反で失格と判定され、即日帰郷かつ当面は高知競輪場を出禁とされた[21]。これによりJKAから『あっせん規制委員会』への諮問と8月末まで「あっせん保留」[22]による欠場を通知され、その後8月15日と16日の2日間にわたって行われた『あっせん規制委員会』で「あっせん停止」[22]の処分が決定したが、武田については起因により1ヶ月処分が上乗せされ、失格の日から8月末までの保留と9月から12月末までの停止を合わせた5ヶ月強相当のあっせんが停止される処分[23]が下された[24]。これにより2013年は高知の失格日より年末まで出走できず、KEIRINグランプリ2013の選考からの除外が決定したため、2009年から保ち続けてきたS級S班からも陥落した[25]
  • 埼玉の平原康多とは最初はラインを組まず別線だったが、よく連係した[26]神山雄一郎の助言もあって2010年代には「関東ゴールデンコンビ」[27]と呼ばれるまでの関係に至った[28][29]

著作

  • 「競輪選手 博打の駒として生きる」角川新書(2019年)

  1. ^ ソルトレークシティオリンピック2002 武田 豊樹プロフィールJOC
  2. ^ 翔びたつ若鷲たち - 全輪協PR+S 第26号 更新日:2005年10月4日
  3. ^ a b c スポーツ古今東西テレビ朝日 2003年1月29日
  4. ^ スポーツ古今東西テレビ朝日 2004年3月3日
  5. ^ 消えた天才 【神様・羽生善治が勝てなかった天才追跡!初回2時間半SP 新】 2018年10月21日 - gooテレビ番組(関東版)
  6. ^ 消えた天才 【神様・羽生善治が勝てなかった天才追跡!初回2時間半SP 新】 2018年10月21日 - gooテレビ番組(関西版)
  7. ^ 「消えた天才 ~神様・羽生善治が勝てなかった天才追跡!初回2時間半SP 新~」2018年10月21日(日)放送内容 - 価格.com
  8. ^ a b 武田豊樹 史上2人目V2で1億円の美酒を/京王閣 - 日刊スポーツ、2015年12月30日6時48分
  9. ^ 武田が34秒62でW杯初優勝/W杯スケート最終日四国新聞 2001年12月10日
  10. ^ 特別選抜試験応募資格の一部改正について - KEIRIN.JP 配信日:2002年3月12日
  11. ^ 山崎G1初出場で優出!! 九州王国再興へ - 西日本スポーツ、2018年8月19日付
  12. ^ 公営競技初!ユニフォームにスポンサー広告! - Keirin JP、2005年1月25日
  13. ^ 2006.9.29 日本自転車振興会 「競輪事業活性化プラン」の検討中間報告
  14. ^ 武田豊樹選手(茨城・88期・SS・39歳)の通算300勝達成について - KEIRIN.JP 4月4日付
  15. ^ スペシャルインタビュー 武田豊樹 月刊競輪WEB 2015年1月23日
  16. ^ 武田豊樹が復活の1勝 待望の今年初勝利/高知 日刊スポーツ 2016年4月16日
  17. ^ 武田豊樹選手(88期・茨城・SS)の通算取得賞金15億円達成について - KEIRIN.JP、2018年8月15日
  18. ^ 武田豊樹激怒!バンクにファン乱入/平塚 - 日刊スポーツ、2011年12月31日
  19. ^ グランプリ中の出来事について - 競輪ステーション・武田豊樹のブログ、2012年1月1日
  20. ^ 当該レースは1名が欠場したため8車立てで行われた。
  21. ^ 高知競輪で追走義務違反 武田ら7選手が失格[リンク切れ] - 2013年7月25日、サンケイスポーツ
  22. ^ a b 競輪に係る業務の方法に関する規程 - この場合の「あっせん保留」は第134条、「あっせん停止」は第135条の適用となる。
  23. ^ 武田以外は9月から11月末までの停止により4ヶ月強相当の処分となった。
  24. ^ 広報KEIRIN第65号(4ページ目参照) - JKA、2013年8月31日
  25. ^ 武田豊樹はあっせん停止4カ月…GP出場はアウト - 2013年8月16日サンケイスポーツ
  26. ^ 【金亀杯争覇戦】武田豊樹「僕の毎日を見ている様ですね(笑顔)」 netkeirin 2023年3月9日
  27. ^ 今月の見どころ 2017年5月 - 競輪専門TV スピードチャンネル
  28. ^ 生涯勝率3割超え、連対率5割超えも縁がない平原康多に相棒・武田豊樹が渾身のエール/平塚GP 日刊スポーツ 2022年12月30日
  29. ^ 武田豊樹「平原に勝って欲しいが他には負けたくない」気持ちの変化がエール送る原動力/平塚GP 日刊スポーツ 2022年12月30日


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