松林山古墳
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遺跡歴
- 1931年(昭和6年)、主体部の発掘調査(後藤守一ら、1939年に報告書刊行)[1]。
- 1954年(昭和29年)、静岡県指定史跡に指定。
- 1961年(昭和36年)、東海道新幹線建設に伴う発掘調査(静岡県教育委員会、1965年に報告書刊行)[1]。
- 1989年(平成元年)、農道拡張に伴う発掘調査(磐田市埋蔵文化財センター、1992年に報告書刊行)[1]。
- 2001年(平成13年)3月26日、国の史跡に指定(史跡「御厨古墳群」のうち)[4]。
墳丘
- 墳丘長:107メートル
- 後円部 - 3段築成。
- 直径:66.5メートル
- 高さ:10.6メートル
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前方部から後円部を望む
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後円部から前方部を望む
前方部前方を東海道新幹線が通る。
出土品
1931年(昭和6年)の調査で竪穴式石室から出土した副葬品は次の通り[6][1]。
- 銅鏡 4
- 装身具類
- 碧玉製琴柱形石製品 1
- 碧玉製石釧 2
- スイジガイ製釧 3
- 硬玉製勾玉
- 碧玉製管玉
- 武器・武具類
- 大刀
- 剣
- 鉾
- 鉄鏃
- 銅鏃
- 長方板革綴短甲 1
- 巴形銅器 3
- 農工具類
- 鉇
- 鉄斧
- 刀子
- 鋸
- 鏨
- 鎌
- 砥石
これらの副葬品は、現在では東京国立博物館(東京都台東区)で保管されている。近年の研究では、松林山古墳出土と大墓古墳(奈良県五條市)とで出土短甲の混同が判明しており、中期古墳の始まりの様相を再検討する必要が指摘される[7]。
そのほかの出土品としては、前方部出土と伝える仿製鏡1面がある。また墳丘の発掘調査では、円筒埴輪(朝顔形・壺形埴輪含む)・形象埴輪(盾形・家形埴輪か)が検出されている[1]。このうち壺形埴輪には巴形の透かし孔が認められる[1]。
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内行花文鏡
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変形内行花文鏡
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三角縁吾作銘二神二獣鏡
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四獣鏡
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長方板革綴短甲片
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方形板革綴短甲片
大墓古墳(奈良県五條市)出土品とされてきたが、近年に松林山古墳出土品と判明。
関連施設
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