日本のサッカー 試合

日本のサッカー

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/09 12:57 UTC 版)

試合

1888年(明治21年)神戸旧居留地の内外人公園(東遊園地)で行われた、神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブ横浜クリケット・アンド・アスレチッククラブとの試合が、日本最古のサッカー公式試合として記録に残っている[注 1]。また、東京高師が関東地方最初のサッカーチームを結成した当初は関東地方では他の日本人チームは存在せず、試合相手は外国人チームが常であった。

この他にも東京高師は他校(主に同じ師範学校)を訪問してサッカーの指導を行うなど、その普及にも努めた。その結果1906年明治39年)に東京府師範学校(後に東京府青山師範学校と改称。以下青山師範とする)でもサッカー部が誕生し、翌年6月1日には東京高師と青山師範の間で日本人チーム同士による関東地方最初の試合が行われた。これは試合時間が40分×3で行われるなど練習試合の意味合いが強いものであったが、同年11月16日には90分での試合が両校の間で実施されており、これが関東地方での最初の対抗戦であったと考えられる。

チーム

1889年、神戸市の兵庫県尋常師範学校(後の御影師範学校、現在の神戸大学)にサッカーチームが創設された。これが、日本では最初となる日本人だけのチームである。また、関東地方では1896年には高等師範学校(1902年東京高等師範学校に改称、現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。

大会

1922年、大学チームの定期的な試合の開催によるレベルアップを狙って日本で最初のリーグ戦である「専門学校蹴球リーグ戦」が実施された。参加したのは東京高師の他、早稲田東京帝国大学東京商科大学(現一橋大学)など4チームであった。このリーグは1925年に「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」となり、早稲田、東京帝大、東京商大に加えて、慶應義塾法政東京農業大学が1部に所属した。これが関東大学サッカーリーグ戦のルーツになっている。また、関西地区でも1924年に関西専門学校ア式蹴球リーグ(現在の関西学生サッカーリーグ)が創設され、関西学院関西大学神戸高商の3校が創設時に所属した。

現在、日本国内にはプロサッカーリーグである「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)、アマチュアサッカーリーグの最高峰である「日本フットボールリーグ」(JFL)などのサッカーリーグが存在している。また、日本国内の高校サッカー部によって行われている「全国高等学校サッカー選手権大会」は国内で行われている数多のアマチュアサッカー大会の中でも著名な大会である。なお、J1・J2に所属する全チーム・JFLの前期リーグ戦終了時点の1位チーム・総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの優勝チーム・J3に所属するチームを含む各都道府県の代表チームらによって行われる「天皇杯全日本サッカー選手権大会」(天皇杯)は日本国内で行われるサッカー大会としては最大規模のサッカー大会である。

なお、大会によっては各登録カテゴリーにおいて重要な位置づけの大会が幾つか存在する。例えば、Jリーグに加盟するチームにとっては「Jリーグ」、「天皇杯」、「Jリーグカップ」の3大会が3大タイトルと言われている。ただ、登録カテゴリーが同じであっても、大会によっては対象チームを限定している大会もあるので注意が必要である。例えば、第2種(U-18)登録チームの大会としては、第2種登録の全てのチームに参加資格がある高円宮杯U-18サッカーリーグのほかに、第2種登録チームのうち高校サッカー部のみを参加対象に限定している「全国高等学校サッカー選手権大会」や、同じく第2種登録クラブチームのみを参加対象に限定している「日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会」がある。

日本のサッカーのシーズン

1920年代 : 1920年 1921年 1922年 1923年 1924年 1925年 1926年 1927年 1928年 1929年
1930年代 : 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年
1940年代 : 1940年 1941年 1942年 1943年 1944年 1945年 1946年 1947年 1948年 1949年
1950年代 : 1950年 1951年 1952年 1953年 1954年 1955年 1956年 1957年 1958年 1959年
1960年代 : 1960年 1961年 1962年 1963年 1964年 1965年 1966年 1967年 1968年 1969年
1970年代 : 1970年 1971年 1972年 1973年 1974年 1975年 1976年 1977年 1978年 1979年
1980年代 : 1930年 1931年 1932年 1933年 1934年 1935年 1936年 1937年 1938年 1939年
1990年代 : 1990年 1991年 1992年 1993年 1994年 1995年 1996年 1997年 1998年 1999年
2000年代 : 2000年 2001年 2002年 2003年 2004年 2005年 2006年 2007年 2008年 2009年
2010年代 : 2010年 2011年 2012年 2013年 2014年 2015年 2016年 2017年 2018年 2019年
2020年代 : 2020年 2021年 2022年 2023年 2024年 2025年 2026年 2027年 2028年 2029年

注釈

  1. ^ 結果は2-1で神戸・レガッタ・アンド・アスレチッククラブが勝利。

出典

  1. ^ 出典: 「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期」、2007年4月7日 (土) 09:06 (UTC)閲覧、日本サッカーブック・ガイド
  2. ^ 出典:中島敦、「斗南先生」(初出1942年)、2007年3月15日 (木) 14:24 (UTC)閲覧、青空文庫
  3. ^ 祖父が出した国語辞典から消えた言葉 辞書マニアの孫が読み解いた”. 朝日新聞 (2023年8月9日). 2023年8月20日閲覧。
  4. ^ ソッカー部について
  5. ^ よくあるご質問 - 早稲田大学ア式蹴球部
  6. ^ 出典: 「JFAサッカーQ&A サッカーが日本に伝来したのはいつ?」2007年4月25日 (水) 19:26 (UTD)閲覧、日本サッカー協会公式サイト
  7. ^ 元祖なでしこ? はかまでサッカー写真発見 香川・丸亀 asahi.com 2011.11.30付記事
  8. ^ 日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1917(大正6年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  9. ^ 日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1923(大正12年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  10. ^ 日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1927(昭和2)年”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
  11. ^ a b c 日本サッカー草創期に開花した世界レベルの技とフェアプレー精神”. 日本オリンピック委員会. 2014年5月17日閲覧。
  12. ^ 1964年東京オリンピック「アルゼンチンに逆転勝利」”. 賀川サッカーライブラリー. 2014年5月17日閲覧。
  13. ^ “サッカー日本代表の歴史”. nippon.com. (2014年4月10日). http://www.nippon.com/ja/features/h00052/ 2014年5月17日閲覧。 
  14. ^ “1970~80年代の日本サッカー”. ライブドアニュース. (2012年7月25日). https://news.livedoor.com/article/detail/6790230/ 2014年5月17日閲覧。 
  15. ^ a b c 後藤健生『日本サッカー史 日本代表の90年』双葉社、2007年。 
  16. ^ a b c d e f g JFA沿革・歴史-JFA公式HP
  17. ^ 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、112頁
  18. ^ a b 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、150頁。
  19. ^ 松岡完 『ワールドカップの国際政治学』朝日新聞社、1994年、P85
  20. ^ サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』双葉社、2003年。 Web版サッカー批評(Vol.11)-スポーツナビ2003年9月12日
  21. ^ 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第31回-日本サッカー協会公式HP_2012年4月2日
  22. ^ 年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  23. ^ チーム年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  24. ^ フットサル個人年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
  25. ^ 山田稔. “卓球やバドミントン以下…実は日本でサッカー競技人口が驚くほど少ない理由”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2020年2月13日閲覧。
  26. ^ 60過ぎてもボールを追いかけたい!いまシニアサッカーチームが熱い”. サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト (2018年6月3日). 2020年2月13日閲覧。
  27. ^ 統計/教育・スポーツ”. 静岡県. 2014年6月14日閲覧。
  28. ^ “W杯「静岡出身2人」時代は変わった、「関西から9人」を誇りに思う 運動部長・野瀬吉信”. 産経新聞. (2014年6月14日). https://web.archive.org/web/20140614063650/http://sankei.jp.msn.com/west/west_sports/news/140614/wsp14061407000001-n1.htm 2014年6月14日閲覧。 


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