日本のサッカー
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試合
1888年(明治21年)神戸旧居留地の内外人公園(東遊園地)で行われた、神戸レガッタ・アンド・アスレチッククラブと横浜クリケット・アンド・アスレチッククラブとの試合が、日本最古のサッカー公式試合として記録に残っている[注 1]。また、東京高師が関東地方最初のサッカーチームを結成した当初は関東地方では他の日本人チームは存在せず、試合相手は外国人チームが常であった。
この他にも東京高師は他校(主に同じ師範学校)を訪問してサッカーの指導を行うなど、その普及にも努めた。その結果1906年(明治39年)に東京府師範学校(後に東京府青山師範学校と改称。以下青山師範とする)でもサッカー部が誕生し、翌年6月1日には東京高師と青山師範の間で日本人チーム同士による関東地方最初の試合が行われた。これは試合時間が40分×3で行われるなど練習試合の意味合いが強いものであったが、同年11月16日には90分での試合が両校の間で実施されており、これが関東地方での最初の対抗戦であったと考えられる。
チーム
1889年、神戸市の兵庫県尋常師範学校(後の御影師範学校、現在の神戸大学)にサッカーチームが創設された。これが、日本では最初となる日本人だけのチームである。また、関東地方では1896年には高等師範学校(1902年東京高等師範学校に改称、現在の筑波大学、以下東京高師とする)に「フートボール部」が創設された。
大会
1922年、大学チームの定期的な試合の開催によるレベルアップを狙って日本で最初のリーグ戦である「専門学校蹴球リーグ戦」が実施された。参加したのは東京高師の他、早稲田、東京帝国大学、東京商科大学(現一橋大学)など4チームであった。このリーグは1925年に「ア式蹴球東京コレッヂリーグ」となり、早稲田、東京帝大、東京商大に加えて、慶應義塾、法政、東京農業大学が1部に所属した。これが関東大学サッカーリーグ戦のルーツになっている。また、関西地区でも1924年に関西専門学校ア式蹴球リーグ(現在の関西学生サッカーリーグ)が創設され、関西学院、関西大学、神戸高商の3校が創設時に所属した。
現在、日本国内にはプロサッカーリーグである「日本プロサッカーリーグ」(Jリーグ)、アマチュアサッカーリーグの最高峰である「日本フットボールリーグ」(JFL)などのサッカーリーグが存在している。また、日本国内の高校サッカー部によって行われている「全国高等学校サッカー選手権大会」は国内で行われている数多のアマチュアサッカー大会の中でも著名な大会である。なお、J1・J2に所属する全チーム・JFLの前期リーグ戦終了時点の1位チーム・総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントの優勝チーム・J3に所属するチームを含む各都道府県の代表チームらによって行われる「天皇杯全日本サッカー選手権大会」(天皇杯)は日本国内で行われるサッカー大会としては最大規模のサッカー大会である。
なお、大会によっては各登録カテゴリーにおいて重要な位置づけの大会が幾つか存在する。例えば、Jリーグに加盟するチームにとっては「Jリーグ」、「天皇杯」、「Jリーグカップ」の3大会が3大タイトルと言われている。ただ、登録カテゴリーが同じであっても、大会によっては対象チームを限定している大会もあるので注意が必要である。例えば、第2種(U-18)登録チームの大会としては、第2種登録の全てのチームに参加資格がある高円宮杯U-18サッカーリーグのほかに、第2種登録チームのうち高校サッカー部のみを参加対象に限定している「全国高等学校サッカー選手権大会」や、同じく第2種登録クラブチームのみを参加対象に限定している「日本クラブユースサッカー選手権 (U-18)大会」がある。
日本のサッカーのシーズン
1920年代 : | 1920年 | 1921年 | 1922年 | 1923年 | 1924年 | 1925年 | 1926年 | 1927年 | 1928年 | 1929年 |
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1930年代 : | 1930年 | 1931年 | 1932年 | 1933年 | 1934年 | 1935年 | 1936年 | 1937年 | 1938年 | 1939年 |
1940年代 : | 1940年 | 1941年 | 1942年 | 1943年 | 1944年 | 1945年 | 1946年 | 1947年 | 1948年 | 1949年 |
1950年代 : | 1950年 | 1951年 | 1952年 | 1953年 | 1954年 | 1955年 | 1956年 | 1957年 | 1958年 | 1959年 |
1960年代 : | 1960年 | 1961年 | 1962年 | 1963年 | 1964年 | 1965年 | 1966年 | 1967年 | 1968年 | 1969年 |
1970年代 : | 1970年 | 1971年 | 1972年 | 1973年 | 1974年 | 1975年 | 1976年 | 1977年 | 1978年 | 1979年 |
1980年代 : | 1930年 | 1931年 | 1932年 | 1933年 | 1934年 | 1935年 | 1936年 | 1937年 | 1938年 | 1939年 |
1990年代 : | 1990年 | 1991年 | 1992年 | 1993年 | 1994年 | 1995年 | 1996年 | 1997年 | 1998年 | 1999年 |
2000年代 : | 2000年 | 2001年 | 2002年 | 2003年 | 2004年 | 2005年 | 2006年 | 2007年 | 2008年 | 2009年 |
2010年代 : | 2010年 | 2011年 | 2012年 | 2013年 | 2014年 | 2015年 | 2016年 | 2017年 | 2018年 | 2019年 |
2020年代 : | 2020年 | 2021年 | 2022年 | 2023年 | 2024年 | 2025年 | 2026年 | 2027年 | 2028年 | 2029年 |
注釈
- ^ 結果は2-1で神戸・レガッタ・アンド・アスレチッククラブが勝利。
出典
- ^ 出典: 「日本サッカー・ブックガイド - 明治・大正・昭和戦前期」、2007年4月7日 (土) 09:06 (UTC)閲覧、日本サッカーブック・ガイド
- ^ 出典:中島敦、「斗南先生」(初出1942年)、2007年3月15日 (木) 14:24 (UTC)閲覧、青空文庫
- ^ “祖父が出した国語辞典から消えた言葉 辞書マニアの孫が読み解いた”. 朝日新聞 (2023年8月9日). 2023年8月20日閲覧。
- ^ ソッカー部について
- ^ よくあるご質問 - 早稲田大学ア式蹴球部
- ^ 出典: 「JFAサッカーQ&A サッカーが日本に伝来したのはいつ?」2007年4月25日 (水) 19:26 (UTD)閲覧、日本サッカー協会公式サイト
- ^ 元祖なでしこ? はかまでサッカー写真発見 香川・丸亀 asahi.com 2011.11.30付記事
- ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1917(大正6年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
- ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1923(大正12年)”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
- ^ “日本サッカーアーカイブ ホーム > 日本サッカー史 > 1927(昭和2)年”. 日本サッカーアーカイブ. 2014年5月3日閲覧。
- ^ a b c “日本サッカー草創期に開花した世界レベルの技とフェアプレー精神”. 日本オリンピック委員会. 2014年5月17日閲覧。
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- ^ “サッカー日本代表の歴史”. nippon.com. (2014年4月10日) 2014年5月17日閲覧。
- ^ “1970~80年代の日本サッカー”. ライブドアニュース. (2012年7月25日) 2014年5月17日閲覧。
- ^ a b c 後藤健生『日本サッカー史 日本代表の90年』双葉社、2007年。
- ^ a b c d e f g JFA沿革・歴史-JFA公式HP
- ^ 轡田三男 「サッカーの歴史 天皇杯全日本選手権 (6)」『サッカーマガジン』 ベースボール・マガジン社、1968年8月号、112頁
- ^ a b 日本蹴球協会編 『日本サッカーのあゆみ』 講談社、1974年、150頁。
- ^ 松岡完 『ワールドカップの国際政治学』朝日新聞社、1994年、P85
- ^ 『サッカー批評issue20 - 改革を進める日本サッカー協会』双葉社、2003年。Web版サッカー批評(Vol.11)-スポーツナビ2003年9月12日
- ^ 小倉純二日本サッカー協会会長コラム「今日もサッカー日和」第31回-日本サッカー協会公式HP_2012年4月2日
- ^ 年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
- ^ チーム年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
- ^ フットサル個人年度別登録数-日本サッカー協会公式HP
- ^ 山田稔. “卓球やバドミントン以下…実は日本でサッカー競技人口が驚くほど少ない理由”. ビジネスジャーナル/Business Journal | ビジネスの本音に迫る. 2020年2月13日閲覧。
- ^ “60過ぎてもボールを追いかけたい!いまシニアサッカーチームが熱い”. サライ.jp|小学館の雑誌『サライ』公式サイト (2018年6月3日). 2020年2月13日閲覧。
- ^ “統計/教育・スポーツ”. 静岡県. 2014年6月14日閲覧。
- ^ “W杯「静岡出身2人」時代は変わった、「関西から9人」を誇りに思う 運動部長・野瀬吉信”. 産経新聞. (2014年6月14日) 2014年6月14日閲覧。
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