小田泰知 小田泰知の概要

小田泰知

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 16:28 UTC 版)

 
小田 泰知
時代 鎌倉時代前期 - 中期
生誕 建暦元年(1211年[1]
死没 寛元3年5月13日1245年6月15日[1]
別名 奥太郎、阿弥陀坊[2]
官位 左衛門尉常陸介[1]
幕府 鎌倉幕府 常陸国守護
主君 藤原頼経頼嗣
氏族 小田氏
父母 父:小田知重[3]
兄弟 泰知高岡泰重小幡光重、田野重継、朝俊[3][2]
三浦泰村の娘[4]
時知[3]
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生涯

常陸国守護を務めた有力御家人小田知重の嫡男として生まれる。祖父は幕府初期の重臣だった八田知家[3]。祖父・父の跡を継いで常陸守護を務めた。泰知は寛元3年(1245年)35歳で死去したが、嫡男・時知は当時幼く、あるいは生母が宝治元年(1247年)の宝治合戦で没落した三浦氏の出身だったため、従弟の宍戸家周(国家)が守護職を継ぐことになった[5][6]

参考文献




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