孔子
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/09/27 07:25 UTC 版)
時代背景
周公旦と礼学
孔子の生まれた魯(紀元前1055年 - 紀元前249年)は、周公旦を開祖とする諸侯国で、周公旦は周王室の有力者で殷を滅ぼした武王の弟とされる。周公旦は、武王の子である成王を補佐し、克殷直後の周を安定させたと伝えられている。周公旦は、征服地の山東半島の曲阜に封じられて諸侯のひとり魯公となるが、魯に向かうことはなく、嫡子の伯禽に赴かせてその支配を委ね、自らは関中の鎬京と華北平原への出口を扼する洛陽を拠点とする周本国で朝政に当たっていた。
周公旦は、周王朝の礼制を定めたとされ、礼学の基礎を築き、周代の儀式・儀礼について『周礼』『儀礼』を著したとされる。旦の時代から約500年後の春秋時代に生まれた孔子は、魯の建国者周公旦を理想の聖人と崇めた。論語の伝えるところによれば孔子は、常に周公旦のことを夢に見続けるほどに敬慕し、ある時に夢に旦のことを見なかったので「年を取った」と嘆いたと言うほどであった。
魯では周公旦の伝統を受け継ぎ、周王朝の古い礼制がよく保存されていた[6]。この古い礼制をまとめ上げ、儒教として後代に伝えていったのが、孔子一門である。孔子が儒教を創出した背景には、魯に残る伝統文化があった。
魯国の状況
春秋時代に入ってからの魯国は、晋・斉・楚といった周辺の大国に翻弄される小国となっていた。国内では、魯公室の分家である三桓氏が政治の実権を握り、寡頭政治を行っていた。三桓氏とは、孟孫氏(仲孫氏)・叔孫氏・季孫氏のことをいう。魯の第15代君主桓公の子に生まれた3兄弟の慶父・叔牙・季友は第16代荘公の重臣となり、慶父から孟孫氏(仲孫氏)、叔牙から叔孫氏、季友から季孫氏に分かれ代々魯の実権を握ってきた。特に権力を極めたのが季孫氏で、代々司徒の役職に就き、叔孫氏が司馬、孟孫氏(仲孫氏)が司空を務めた。
孔子の生まれた当時は襄公(紀元前572年-紀元前542年)の時代であった。紀元前562年には季孫氏の季孫宿(季武子)の発議によってそれまで上下二軍組織だった魯国軍を上中下の三軍組織に再編、のちに三桓氏は軍事を独占するようになる [7]。
注釈
出典
- ^ “孔子廟訴訟、2月判決 最高裁が政教分離判断へ”. 日本経済新聞 (2021年1月27日). 2021年2月6日閲覧。
- ^ “四聖(シショウ)とは”. コトバンク. 2020年6月14日閲覧。
- ^ “「論語」現存最古とみられる紙の写本見つかる 7日から公開”. NHKニュース (2020年10月7日). 2020年12月23日閲覧。[リンク切れ]
- ^ 『史記』孔子世家
- ^ https://www.afpbb.com/articles/-/2215012 「再び脚光浴びる「孔子の教え」 - 中国」AFPBB 2007年04月22日 2015年11月2日閲覧
- ^ 「孔子 中国の知的源流」p21 蜂谷邦夫 講談社現代新書 1997年5月20日第1刷
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,42-3頁
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,43頁
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,57頁
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,51頁
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,52頁
- ^ 『論語』子罕編。貝塚、62頁。
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,66頁
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年
- ^ 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年
- ^ a b 江連隆『論語と孔子の事典』大修館書店、1996年
- ^ 「家語」
- ^ 『孟子』『史記』
- ^ 「図説孔子 生涯と思想」p275 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,146頁
- ^ 「図説孔子 生涯と思想」p30 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
- ^ 「図説孔子 生涯と思想」p276 孔祥林著 浅野裕一監修 三浦吉明訳 科学出版社東京発行 国書刊行会 2014年12月22日初版第1刷
- ^ 『論語』陽貨第十七
- ^ 『史記』孔子世家
- ^ a b 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,171頁
- ^ 『史記』孔子世家、左伝
- ^ 貝塚茂樹『孔子』岩波新書、1951年,173頁
- ^ 「孔子 中国の知的源流」p45-46 蜂谷邦夫 講談社現代新書 1997年5月20日第1刷
- ^ a b c d e f 柄谷行人『普遍宗教は甦る』文藝春秋〈文藝春秋special 10(1)〉、2016年、131-140頁。
- ^ 吉田亮太『春秋戦国政治外交史』三恵社、2014年、P58-61
- ^ ※この一覧表は、江連隆『論語と孔子の事典』(大修館書店、1996年)を参照し作成
- ^ 論語:郷党第十八
- ^ http://www.cnta-osaka.jp/heritage/temple-and-cemetery-of-confucius_and-the-kong-family-mansion-in-qufu 「曲阜の孔廟、孔林、孔府」中国国家観光局大阪駐在事務所 2015年11月2日閲覧
- ^ 小学館編『地球紀行 世界遺産の旅』p186 小学館<GREEN Mook>1999.10、ISBN 4-09-102051-8
- ^ “공 孔”. 斗山世界大百科事典 2022年11月17日閲覧。
- ^ 孔子の子孫200万人超に、「孔子家系図」9月に出版―中国、エキサイトニュース、2009年1月3日。
- ^ a b 孔子の子孫は200万人…家系図の大改訂で女性含め認定、サーチナ、2009年9月24日。
- ^ 孔子の家系図改訂、子孫は200万人を超える、AFP BB News、2008年2月18日。
- ^ 津曲 2013, p. 1156.
固有名詞の分類
- >> 「孔子」を含む用語の索引
- 孔子のページへのリンク