土井晩翠
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/24 11:06 UTC 版)
土井を記念する催し
- 土井晩翠顕彰会により、晩翠の命日である10月19日前後に顕彰の開催がある。
その他
土井は大学卒業後、郁文館中学校の英語教師、その後旧制第二高等学校の英語(最初はドイツ語)教師となった。国文学者と思って受験した生徒が多くいたという。また格調高い授業を期待した生徒もいたが、ただ英文を読んで翻訳するだけの授業であったといわれている。英語の発音は仙台弁丸出しであり、当時の生徒であった小野寺五一[誰?]は「Father and Mother」を「ファザルエンドマザル」と発音していたと回顧している。
土井が晩年を過ごした仙台市内の住居は現在、「晩翠草堂」として同市青葉区の青葉通り沿いに残されている。これは、土井の教え子や仙台市民の有志が中心となって1949年(昭和24年)に建設されたものである。
のち1980年代に、この草堂の近くを通過する道路が、土井に因んで「晩翠通り」と命名されたが、それを知った土井の子孫がパブリシティ権の侵害であるとして仙台市を訴えるという事例が起きている。孫の中野好之著『仙台「晩翠草堂」の顛末 詩人・土井晩翠旧宅敷地譲渡をめぐる紛争の内幕』(御茶の水書房、1988年)に詳しい経緯が記されている。
土井が転向した当時の立町小学校には訓導として和田経重(後の漢詩人井土霊山)が奉職していた。[11]
脚注
- ^ a b c d e f g (10) 榴岡、新寺(13、14番札所) / 晩翠眠る城下の東辺(河北新報 2010年11月15日)
- ^ a b c d e f 異国で会った作者たち 「荒城の月」(朝日新聞 2011年10月8日)
- ^ 2017年2月18日(土)BS-TBS関口宏ニッポン風土記出演の仙台郷土研究会会長吉岡一男は戦前土井と会ったことがあり、昭和12年だったか「つちい」は仙台弁では訛り(なまり)「つつい」となるので、今後は「どい」とすると土井自身が語ったと述べている。
- ^ 『雨の降る日は天気が悪い』序文
- ^ 歴史の中から見た熊谷屋の300年(元祖仙台駄菓子 熊谷屋)
- ^ 「雨の降る日は天気が悪い」序 青空文庫
- ^ 名誉市民(仙台市)Archived 2002-12-22 at the Wayback Machine.
- ^ 岩井寛『作家の臨終・墓碑事典』(東京堂出版、1997年)217頁
- ^ 茨城県立潮来高等学校校章、校歌
- ^ “鶴ヶ城 城址公園マップ”. 会津若松観光ビューロー. 2017年2月22日閲覧。
- ^ 明治十三年雑記綴学務課(宮城県図書館蔵)
土井晩翠と同じ種類の言葉
固有名詞の分類
- 土井晩翠のページへのリンク