国鉄1215形蒸気機関車 伊賀鉄道

国鉄1215形蒸気機関車

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/02/26 01:45 UTC 版)

伊賀鉄道

この機関車は1922年製の製造番号 10264で、伊賀鉄道では5形 (5) と称した。シリンダの行程が50mm増大された以外は横荘鉄道のものと同形である。伊賀鉄道時代に、側水槽を拡大して運転台背部に石炭庫を移設し、形態が変わった。1927年(昭和2年)に大井川鉄道(現・大井川鐵道)へ譲渡されたが、番号は変わらなかった。大井川鉄道では長く使用され、1956年(昭和31年)に廃車となった。

大阪鉄道

1922年製の製造番号10301である。大阪鉄道(2代)3で、現在の近鉄道明寺線長野線に導入されたものである。1923年に関西急行鉄道と合併された後、近畿日本鉄道成立後の1943年(昭和18年)に廃車となった。

江若鉄道

1922年製に導入された製造番号10302で、江若鉄道では3と称し、横荘鉄道、大阪鉄道のものと同形である。この機関車は、1935年(昭和10年)に筑前参宮鉄道(後の国鉄勝田線)へ譲渡され、そのままの番号(形式は1410形)で使用されたが、石炭庫を運転台背部に増設して側水槽も前方へ拡大し、運転台下に従輪を増設して車軸配置を0-6-2 (C1) とした。1942年(昭和17年)の西日本鉄道統合後の1944年に、この路線は戦時買収され、この機関車は2090形 (2090) となったが、ほとんど使用されず、1947年(昭和22年)に廃車となった。改番の手続きはされたものの、現車には新番号は標記されず、3のままであったようである。

五日市鉄道

五日市鉄道では、工事・開業用に1923年製の本クラスを2両(製造番号 10420, 10469)導入し、1, 2とした。五日市鉄道は1940年(昭和15年)に南武鉄道に合併され、この2両は同鉄道の7, 8となり、そのまま五日市線で使用されたが、1944年の戦時買収により国有化され、仮番号123, 124を経て書類上1195形 (1195, 1196) となった。しかし現車にはこの番号は標記されないまま、1196は1946年(昭和21年)に、1195は1948年(昭和23年)に廃車となった。1195は、和歌山県の御坊臨海鉄道有田鉄道が譲り受けの意向を示したが、結局不調となり、末期は宮原機関区で据え付けボイラー代用となっていた。

八幡製鉄所

八幡製鉄所では1923年製の1両(製造番号 10470)を導入し、319とした。この機関車は、シリンダが370mm×500mmに変わった以外は、五日市鉄道のものと同一である。1952年(昭和27年)の改番により344となり、1954年(昭和29年)に改造名義で代車が新造され、姿を消した。


注釈

  1. ^ 当初はNUS4になるはずが忌み数のため変更されたとする説がある[1]
  2. ^ 当初サイドロッドを備えていたが、運転当初に故障が見つかり、それ以降外したままの走行になっている[2]

出典

  1. ^ a b 講談社 高井薫平『小型蒸気機関車全記録』東日本編 p.145
  2. ^ 3月18日に定期運行再開 車両故障のトロッコ列車 小湊鉄道」『千葉日報』千葉日報社、2016年2月4日。2020年12月1日閲覧。「車輪をつなぐサイドロッドの一部に破損が見つかった。サイドロッドは飾りのため、今後は取り外して走らせることを決め、」






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