古詩十九首
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 23:54 UTC 版)
「古詩十九首」という題は『文選』の編纂に際して仮に名付けられたもので、各詩には固有の題はなく、いつ誰が作ったかも定かでない。『玉台新詠』には19首のうち8首を前漢の枚乗の作として収めているが、これも疑わしい。定説では、後漢中期以降の知識階層に属する人々が、当時の民間歌謡であった楽府を基に創作したものであろうと目されている[2]。楽府古辞と古詩とはテーマを共有するが、後者は言葉遣いに教養が滲んでやや堅く、原則として歌唱された形跡が見られないものを言う[3]。
成立をめぐる議論
十九首の成立年代については後漢の後期とする説が有力視されているが、詳しくは分かっていない。古い俗説では、『玉台新詠』などの注に依って前漢の枚乗・李陵・蘇武らの作としているが、これらはほぼ認められていない。しかし、唐の李善『文選注』も指摘するように、一部の詩にある洛陽(後漢の都)の描写から後漢の人の作が含まれることは、多くの人が認めるところである。清の饒学斌『月午楼古詩十九首詳解』では、後漢末の党錮の禁によって辺北へ逃げた人の作ではないかと推測しているが、十九首を全て個人の作品と見なすにも無理がある[4]。
一部の詩は既存の楽府の字句をそのまま換骨奪胎して作られており、言葉の選び方からしても知識人の作為を思わせるものである[5]。類似する楽府は既に漢代に存在したことから、古詩十九首が民間歌謡に起源をもつことはほぼ確実であると考えられてきた(具体的には、第十五首「生年不満百」が『宋書』中の「西門行」古詞に対応するなど)[2]。これらは特定の時期にある個人によって作られたというよりは、かなり長い時代にわたって歌い伝えられたものが蓄積して整理されたものと考えられる[6]。
近代になって徐中舒・鈴木虎雄・梁啓超らが後漢中後期の成立とする説を唱え、これが概ね定着して今日に至っている[7]が、21世紀に入ってから、従来の成立年代や民間起源論に挑戦する異説も唱えられている。柳川順子は、古詩の中でも陸機が擬作を残している数首の作品群を古層に位置づけ、これらを前漢末期の後宮の娯楽的空間の中で生まれてきたものとする[8]。また木斎は後漢末の曹植による創作とする説を提示し、中国国内の文学研究に大きな波紋を呼んだ[9]。
なお、同時代の鍾嶸による五言詩の評論書『詩品』を見る限り、『文選』が編まれた6世紀初頭には、少なくとも60首にのぼる作者未詳の「古詩」が伝わっていたようである。『玉台新詠』には、十九首と重複するもののほかに5首の古詩を採録している。南朝宋の劉鑠には、古詩30余首の擬作を作って世の評判になったとの逸話も残っており、これらもまた『文選』『玉台新詠』にその一部を見る。このほか、『文選』の基本テクストである李善注の中に引かれて断片的に残っているものなどもある[10]。
『文選』の編者である昭明太子がその中から代表的な19首を採録したのか、すでにまとまった作品群として19首があったものを掲載したのかは定かでない[11]。ただ、晋の陸機が漢代の「古詩」の中から14首の擬作を残したことが『詩品』に記されており、その中でも現存する12首のうち11首までが古詩十九首のものを踏まえている。このことから、『文選』に選ばれた作品群にも既に何らかの来歴があったのではないかと推測できる[10]。
作品一覧
各詩には題名がないため、『文選』に振られている番号で呼ぶか、各詩の首句(第一句)をもって詩題とすることが多い。
- 行行重行行(其一)
- 青青河畔草(其二)
- 青青陵上柏(其三)
- 今日良宴会(其四)
- 西北有高楼(其五)
- 渉江采芙蓉(其六)
- 明月皎夜光(其七)
- 冉冉孤生竹(其八)
- 庭中有奇樹(其九)
- 迢迢牽牛星(其十)
- 回車駕言邁(其十一)
- 東城高且長(其十二)
- 駆車上東門(其十三)
- 去者日以疎(其十四)
- 生年不満百(其十五)
- 凜凜歳雲暮(其十六)
- 孟冬寒気至(其十七)
- 客従遠方来(其十八)
- 明月何皎皎(其十九)
- ^ 近藤春雄『中国学芸大事典』大修館書店、1978年、371頁。ISBN 4469032018。
- ^ a b c d e 松原, 佐藤 & 児島 2009, pp. 38–39.
- ^ a b 吉川 1953, p. 332.
- ^ a b c 曹 1994.
- ^ 道家 1984.
- ^ a b 前野 1975, p. 50.
- ^ a b 柳川 2002.
- ^ 柳川 2004.
- ^ 王一娟 (2012年3月26日). “古詩十九首可能是曹植所著——木斋先生访谈录”. 中国社会科学報. 2018年7月18日閲覧。
- ^ a b 吉川 1961, pp. 269–270.
- ^ 伊藤 & 一海 1983, pp. 22–23.
- ^ 吉川 1961, pp. 267–268.
- ^ a b 吉川 1961, p. 270.
- ^ 吉川 1961, pp. 304–306.
- ^ 吉川 1961, pp. 307–308.
- ^ 鈴木 1963.
- ^ a b c 伊藤 & 一海 1972, pp. 476–478.
- ^ a b 蕭 2007.
- ^ 前野 1975, p. 66.
- ^ 鈴木 1993.
- ^ 伊藤 & 一海 1983, p. 26.
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