古詩十九首 後世への影響

古詩十九首

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/12/31 23:54 UTC 版)

後世への影響

五言詩の発達と十九首

『詩経』を権威とする古来の儒教文学においては、四言詩が正式な文体とされてきた。梁代の文学理論書『文心雕龍』に「辞人の遺翰に五言を見る莫し」と言うように、前漢においては文人による五言詩の創作は見られない。しかし、整然たる形式の詩とは言えないまでも、古くは武帝の時代の古楽府「北方有佳人」に五言句の興りを見ることができる。武帝は役所として楽府を創設して民間歌謡の収集・編曲に努め、その中に十九首のうちの数篇を含む最古の五言詩群の原型が成立するに至ったと考えられる[17]

とはいえ、長短句の入り混じる漢代の古楽府において五言句はわずかな句数を占めるにすぎず、完全な五言句のみで構成される作品の成立には古詩十九首の出現を待たねばならなかった。詩よりもが文学の中心を占めた漢代から、のちに五言詩が中国文学の本流となるまでに成長した背景には、この詩群の影響は見逃せないものがある[2]。これを評して明の王世貞は「千古五言の祖」と述べている[18]

後漢になると、民間に興った楽府の形式を模倣して、班固「詠史詩」や張衡「同声歌」など知識人の手による五言詩が作られるようになる。しかし当時の五言詩は第二芸術の位置に留まっており、創作も個人の閉鎖的な場で行われていたがゆえに、その詩的成熟には限界があった[17]。むしろその発展は民間において甚だしく、これらを古詩の形に昇華させたのが、名の知れぬ漢代の詩人たちであった[3]

やがて後漢末に至って曹操らの詩壇が開かれると文人たちが競って詩の創作に励み、建安文学が花開くが、その時に参照されたのは古詩の系列であった[17]。漢末という時代の転換期にあって、かつての辞賦のような物々しい宮廷文学は既に新鮮味を失い、新たな抒情の表出の手段として五言詩が歓迎されたのである[19]

抒情詩研究の大家であった高友工によれば、古詩十九首は特定の受け手を対象としない「自省的抒情」の起源と見ることができ、楽府から古詩への移行は、外向きの演芸としての芸術から内向的な抒情芸術へと意識が移っていく局面を反映している。こうした面から十九首は、単に五言詩の祖であるのみならず、漢代から六朝期に至る詩歌の発展の歴史における一つの転換点であったとも評されている[18]

典故・伝説

古詩十九首は古代の人々の素朴な感情を歌い上げ、新鮮な作風かつ高度な芸術性を備えているとされ、後世の評価は非常に高い[6]。『文心雕龍』には古詩十九首を「五言の冠冕(首位)」と評するほか、同じく梁の鍾嶸の『詩品』でもこれらの詩群を筆頭に掲げ、また評して「心を驚かし魄を動かす、幾(ほと)んど一字千金と謂ふべし」と述べる[2][13]

陸機以来、陶淵明江淹鮑照李白韋応物・洪适など後世に多くの擬作(擬古)がある[20]ほか、古来駢儷体の名文として知られる李白の「春夜宴桃李園序」を初めとして、典故も枚挙に暇がない。『文選』に親しんだ日本文学にもその影響は大きく、例えば「去る者は日々に疎し」という諺の直接の由来である『徒然草』第三十段は、第十四首「去者日以疎(去る者は日を以て疎なり)」を踏まえている。

第十首の「迢迢牽牛星」はまた、七夕の織姫・彦星伝説の起源の1つとしても知られている。牽牛星織女星の名は既に『詩経』の小雅・大東の中に見えているが、この星々の位置関係を恋愛物語に仕立てた記述は、この歌が最古である。ただしこの詩の中では七夕の夜の逢瀬については触れておらず、今日に伝わる形で記録されるのは6世紀の『荊楚歳時記』等においてである[21]


  1. ^ 近藤春雄『中国学芸大事典』大修館書店、1978年、371頁。ISBN 4469032018 
  2. ^ a b c d e 松原, 佐藤 & 児島 2009, pp. 38–39.
  3. ^ a b 吉川 1953, p. 332.
  4. ^ a b c 曹 1994.
  5. ^ 道家 1984.
  6. ^ a b 前野 1975, p. 50.
  7. ^ a b 柳川 2002.
  8. ^ 柳川 2004.
  9. ^ 王一娟 (2012年3月26日). “古詩十九首可能是曹植所著——木斋先生访谈录”. 中国社会科学報. 2018年7月18日閲覧。
  10. ^ a b 吉川 1961, pp. 269–270.
  11. ^ 伊藤 & 一海 1983, pp. 22–23.
  12. ^ 吉川 1961, pp. 267–268.
  13. ^ a b 吉川 1961, p. 270.
  14. ^ 吉川 1961, pp. 304–306.
  15. ^ 吉川 1961, pp. 307–308.
  16. ^ 鈴木 1963.
  17. ^ a b c 伊藤 & 一海 1972, pp. 476–478.
  18. ^ a b 蕭 2007.
  19. ^ 前野 1975, p. 66.
  20. ^ 鈴木 1993.
  21. ^ 伊藤 & 一海 1983, p. 26.


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